台地を見下ろす巨大な台?

牧之原高架水槽

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短編 水槽の開く音がする月夜だった。


島田市金谷富士見町にある牧の原公園を西へ進み、諏訪原城跡へと向かう『金谷お茶の香通り』と名付けられた細い道。
その道沿いに、今回の物件は存在します。

金谷 Click!
国土地理院地図より

周囲を取り囲む茶畑の記号が、まさに“産地”である事を強調していますね。
ここは昔から地元民の抜け道的な利用をされている道路で、通り過ぎる車の平均速度は そのほとんどが取り締まり対象かと。(個人の感想です)
この物件が何なのか、いつも気にしながら通過するだけ、という人も多いのでは?

さて、少し離れた地点から今回の物件を捉えた写真をご覧いただきましょうか。

牧之原高架水槽

果たして何と表現したらよいものか。(現在地
いやもう単純に “ 台 ” ですね。
それ以外にありません。
ちなみに奥に見える鉄塔は、島田デジタルテレビ中継局。
民放数社がここから電波を飛ばしています。
さらに近づいてみます。

牧之原高架水槽

少し通り過ぎて、回り込んだ位置からの眺め。(現在地
暗くて余計に分かりづらくなってしまいましたが、丸い天板と3つの段を6本の脚で支えているようです。

牧之原高架水槽

よく見ると、天板と3つの段にはそれぞれ穴が開いています。
丸だったり四角だったり、穴の形は様々。
これは一体なんなのか?

牧之原高架水槽 Click!

正面まで来たところで、突如その正体を明かされます。

【牧之原高架水槽】

青いシンボルマークは、水槽なのでしょうか。
名前から察するに、かつてこの台の上には水のタンクがあったようです。

牧之原高架水槽

近づいてみると、さらに異様な光景。
全段をブチ抜いている穴もあれば、そうではない穴も。

牧之原高架水槽

出っ張りがあったり、凹みがあったり。
梯子のようなものが設えられていたのかもしれません。

牧之原高架水槽

役目を終えてから、どれほどの年月を経ているのでしょうか?



さてさて、この遺構の正体について探ってみます。

まず水関連の設備である事は、看板の【牧之原高架水槽】という名称からも察せられます。
牧之原台地+水槽とくれば これは[農業用水]の関係だろう、と一瞬は思いましたが、
下の段に書かれたもう一つの名称に 即座にそれを否定されました。

牧之原高架水槽
Google ストリートビューより

【大井上水道企業団】
公式HP

どうやらこれは、上水道の関連設備のようです。

ここで一度、WEBでの情報収集を行ってみます。
まずGoogleMapに載っていた情報を見てみると
「大井上水道企業団の所有する施設跡で、 かつては上水道の供給を担っていました。 現在では近隣に上水道設備が備えられたため、 高架水槽としては使われていません。」
と、もうほとんど答えが書かれているようなもんですね。

そしてそして、もう一つ。
WEB上の検索でヒットした写真
こちらはIngressで確認できる、現在の遺構より ほんの少し時間が巻き戻った状態の牧之原高架水槽です。

注:Ingress(イングレス)は、Googleの社内ベンチャー企業である「ナイアンティックラボ」(Niantic Labs)が開発・運営する、スマートフォン向けのオンライン位置情報ゲームです。ポケモンGOの兄貴分にあたります。

水槽本体こそ無いものの、中央を貫通するパイプや最上段の柵のようなもの、黄色い梯子などが確認できますね。
中段の四角い穴は、梯子のための開口部だったようです。



さあ如何だったでしょうか?

…って、これで終わっては調査と呼べません。
このサイト的には、もう少し掘り下げたい所です。
しかしこの地区の図書館では、上水道に関する資料は見た記憶がないんだよな…。
どうしたもんか…。

まあ何かアテがあるわけでも無し。
直接聞いてみっか!

え、どこ?って…。

【大井上水道企業団】に。

いやまあ、メールで ですけどね。

で、この設備跡についての質問メールを送ってみたところ、何と何と!
翌日に庶務係のO氏から丁寧な回答を頂きました!
そのやりとりの中で現役当時の写真がないかお尋ねすると、平成12(2000)年に制作された【大井上水道企業団 創立50年のあゆみ】というパンフレットの中にその姿が載っているとの事。

大井上水道企業団 創立50年のあゆみ
パンフレット【大井上水道企業団 創立50年のあゆみ】より

残念ながらこのパンフレットは図書館への寄贈等は行っておらず 容易に見られる状況には無い物のようですが、これまた何と何と!
ご厚意により、事務所に僅かに残っていた在庫分を1部 頂くことができました!
いや〜、聞いてみるもんだ。

んで、肝心の写真なんですが…。
「パンフレット作成時の写真等の権利関係がハッキリしないため(20年以上前だしね…)、使用はお控えください。」
との事でした。

う〜む、仕方ない。
今回の物件は “写真無し” 或いは、いつものように忠実に再現したイラストでお茶を濁すか!

…なんて、それではあまりにもイメージが掴み難いですよね。

大丈夫。
見つけてきましたよ。

ご覧いただきましょう。
これが、牧之原高架水槽の現役当時の姿です!

牧之原高架水槽
送信塔見て歩きWeb様 提供

牧之原高架水槽
送信塔見て歩きWeb様 提供

こちらの写真は、【送信塔見て歩きWeb】様からご提供いただきました。
【送信塔見て歩きWeb】とは、全国各地にあるテレビ・ラジオの送信所・中継局を写真付きで紹介・解説しておられるサイトで、日本中の施設を網羅しているその情報量は驚愕に値します。
今回紹介している物件の周辺は、正に送信塔銀座と呼んでも差し支えない程の鉄塔が密集しており、上の写真からも見て取れるように かつては水槽横にも電波塔が存在していました。
記事を制作するにあたって、このあたりの電波塔・送信塔についても触れる必要があると判断したため情報収集を始めた所、辿り着いたのがこのサイト。
周辺施設についての記事をついつい夢中になって読んでいると、なんと牧之原高架水槽が写っているじゃあありませんか。
そこで、急ぎ制作者の mitearuki 様にコンタクトを取り 写真をお借りできないか問い合わせしてみたら 快諾してくださった、という経緯なのです。
但し、提供いただいた写真の撮影日が平成17(2005)年との事なので、厳密には引退後の姿、ということになります。(詳しくは後述)

では写真に戻って、細部を見てみましょう。
(ここでは便宜上、道路側(名称板が設置されている面)を正面として進めます。)
まずは水槽部分から。

牧之原高架水槽 Click!
送信塔見て歩きWeb様 提供写真より

一番上には銀色に塗装された水槽があり、そこから太パイプ2本、細パイプ1本が出ていますね。
土台最上段には外周をぐるりと囲むように柵が見えます。
また、クリック後の写真の橙色の部分には、昇降するための黄色い梯子が架けられていた事も分かりました。
右の写真は ほぼ真横から捉えた状態になりますが、水槽奥側には台座から水槽上に登るための梯子も備わっています。
ただどう見ても、水色で囲った最上段の丸穴の用途が分かりません。
下の段の穴は水槽から飛び出てきたパイプが通っているわけですが…。
水槽の水抜き用の逃がし穴か、雨水が台座に溜まらないようにするためとか?
別のパイプが通っているわけでもないようだし、はて?

牧之原高架水槽 Click!
送信塔見て歩きWeb様 提供写真より

続いて土台部分。
一段づつ繋いでいる梯子の様子がよくわかります。
水槽へと続くパイプは水色に塗られていますね。
このパイプはその後、地中へと消えていきます。

ちなみに写真中にちょこちょこ写っている背の高い扇風機のような物体、これは[ 防霜ファン ]というものです。
「夏場に回して、畑を涼しくするためのアイテム」だと思われる人もいるようですが、実際はその逆。
冬のよく冷えた朝方などに動かし、上空の比較的温かい空気を地表面に送り込むことで霜の被害から農作物を守るための設備なのです。



それでは、O氏とのメールのやりとりに戻って この水槽が設置された経緯についてまとめてみます。
まず、この水槽は何のために設置され、どのように使われていたのか?

「以前は国道473号の空港の入り口付近にある「猪土居配水池」から、自然流下にて相良・榛原方面へ配水していました。
しかし猪土居周辺地域は配水池の高さと使用場所がほぼ同一のため、水の出が悪く、水圧調整を目的として本施設を築造しました。
当該施設の上にタンクが載っており、そのタンクに水道水をため自然流下において、猪土居 及び周辺地域へ配水していました。」


猪土居地区 Click!
GoogleMapより

この高架水槽は、猪土居周辺地域への配水を目的としたものでした。
猪土居配水池はかなり古く(昭和41(1966)年以前?)からある貯水施設で、パンフレットの中にある写真には同型の高架水槽が写っていました。

猪土居配水池 Click!
Googleストリートビュー、パンフレット参考

では、牧之原高架水槽は いつ頃建てられたものでしょうか?

「固定資産台帳及び決算書を調べたところ、昭和46(1971)年度に築造したものと思われます。
また、昭和62(1987)年度にはタンク部分のみ更新した記録があります。
この施設は、平成15(2003)年度牧之原配水池が出来るまで使用していました。」


なんと、平成15(2003)年頃までは存在していた!
であれば、水槽そのものを見た事がある人は結構 多いのでは?

牧之原配水池 Click!
GoogleMapより

牧之原配水池とは、お茶筒をイメージした外観が特徴的な配水池で、2層式の水道用プレストレスコンクリート円形水槽。
施工した株式会社蓮池設計は創業60年を超える老舗の水道設計会社です。


牧之原高架水槽へはポンプで水を汲み上げていたと思いますが、どういうルートだったのでしょうか?

猪土居配水池から牧之原ポンプ所を経由して高架水槽へ入水していました。
牧之原ポンプ所は旧大井川農協牧之原支店付近にあります。
現在は水道施設としては使用しておらず、ゴミステーションとして住民たちに貸し出しております。」

というわけで ここまで判明した内容を整理して、地理的な位置関係を地図に載せてみます。

牧之原高架水槽 Click!
GoogleMapより

各施設を結ぶ水道管のルートは、あくまでイメージですのでね。
正しくは、道路の下を通っているはずです。

図中にある配水池のうち松島・菊川第一・菊川第二は既に使用していないのか 現行の配水フロー図からは外されており、平成15(2003)年度に設置された牧之原配水池からの直接配水に切り替わっているようです。



お次は、いつものように上空からの写真で確認してみましょう。

まずは設置前の昭和37(1962)年8月4日のものから。

牧之原高架水槽 Click!
国土地理院地図 航空写真より

クリックすると該当部分を拡大しますが、やはり何もありません。
ひたすら茶畑。

右上端に見える広い施設は旧金谷中学校。
昭和52(1977)年までこの位置にありましたが、旧金谷中学校と旧五和中学校の統合によって現在の場所へと移りました。
中央下に見える集落が猪土居地区の中心部のようです。
今ほど家屋が点在していませんね。

次は高架水槽が設置された後の昭和51(1976)年2月4日のもの。

牧之原高架水槽 Click!
国土地理院地図 航空写真より

銀色の水槽が、ハッキリと写ってますねぇ!
当時はここから周辺地域に配水していたわけです。
左下に見える紅白の鉄塔は、SUT(テレビ静岡・S44(1969)8/28運用開始)単独のアナログ放送時代の電波塔。
地上デジタル放送となった現在とは設備的に色々違うわけですが、鉄塔自体はこの時から変わっていないのかも?

次は7年後の昭和58(1983)年10月29日のもの。

牧之原高架水槽 Click!
国土地理院地図 航空写真より

高架水槽自体は変わりがないのですが、よく見るとすぐ横に新しく紅白の鉄塔が建っています。
この鉄塔は、上の方で紹介したIngress(イングレス)の写真や提供写真にも写っていました。
【送信塔見て歩きWeb】の情報によると、これはSDT(静岡第一テレビ・S54(1979)7/1運用開始)SATV(静岡朝日テレビ・S53(1978)9/14運用開始)共用電波塔(地上アナログ放送用)との事。
地上デジタル放送自体は平成18(2006)年に開始されていましたが、実際にはアナログ放送からの移行期間が設けられていたため、平成23(2011)年7月24日までは稼働していたようです。

次がタンク更新後の昭和63(1988)年10月10日のもの。

牧之原高架水槽 Click!
国土地理院地図 航空写真より

とは言っても、タンクが新しくなったことを読み取れるような解像度でもないわけですが。
周辺の鉄塔にも変わりはないように見えます。

そして最後に、廃止後とされる平成25(2013)年8月10日の写真を。

牧之原高架水槽 Click!
国土地理院地図 航空写真より

無い…。

見事に水槽だけがありません。
ほぼ真上からの撮影なので分かりにくいですが、ここは影に注目です。
水槽が乗っていないことは一目瞭然。

すぐ横の電波塔は まだ健在のようですが、上述したように既に役目は終えていた頃。
この数年後には取り壊される運命にあります。

とまあ、何にせよ大雑把ではありますが 歴史を辿ることができました。



さあさあ、如何だったでしょうか?今回の物件は。
遺構としては やや若い部類に入るため、現役時代の事を知っている人も多いのではないでしょうか?

もし近くを通ることがあったら、少し車のスピードを緩めて 在りし日の銀色の水槽の姿を思い浮かべてみてください。



今回の調査では、大井上水道企業団 庶務係 O氏と、送信塔見て歩きWeb 制作者の mitearuki 氏に多大なるご協力を頂きました!
厚く御礼申し上げます!



名所File No.M04

牧之原高架水槽

営業時間:営業終了
所在地:静岡県島田市金谷坂町
交通アクセス:島田市コミュニティバス 菊川神谷城線 ふじのくに茶の都ミュージアム停留所より 徒歩10分




調査完了。








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