五和から島田へ

五和側線

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第2話 遠い昔、はるか大井川対岸で……



今回は これまでの情報を地図上にまとめてみます。
図下の年号等をクリックして、見やすい画像にてご確認ください。
まずは五和駅〜島駅区間を。

航空写真

国土地理院 航空写真、GoogleMap 衛星写真より

[1963年]  [五和側線予想図]  [2022年]  [2022年補足]


残念ながら当時の航空写真や地図は手に入らなかったため、まだ面影の残っている1963年(昭和38年)頃の写真を主に使用しています。
五和側線廃止とされる年からは既に10年以上が経過しており、却って分かりづらいかも・・・。

まず簡単に説明すると、写真に見える大きな建物は当時の五和小学校で、側線・索道共に関係ありません。
建物右側の広大な空き地も小学校改築用に確保した土地らしく、これまた関係ないようです。
現在の五和小学校がある場所(写真左上)には、かつての五和中学校が建っていました。

それでは、五和側線の予想図について。
五和側線で運ばれた木材は貯木場に集められ、索道プラットフォームから向谷に向けて送られました。
前話で疑問に思った通り、実際の島駅は最初のイメージほど巨大ではなかったようです。

現在の様子を見てみましょう。
五和駅から始まる引き込み線は、道路となって辿ることができます。

【A】地点


ゆるやかにカーブして当時の島駅方向へ向かいます。

【B】地点


竹下商店街と交わるこの交差点は、当時からここに存在していました。

【C】地点


索道のプラットフォームがあった場所は、現在は駐車場になっています。
この辺りから索道にて島田方面へ送られていました。



お次は大井川〜向谷駅

航空写真

国土地理院 航空写真、GoogleMap 衛星写真より

[1963年]  [五和側線予想図]  [2022年]  [2022年補足]


向谷駅付近についてはまだ調査不足のため、あくまで予想なのですが・・・。

【D】地点


唯一の当時モノともいえる、索道鉄塔跡
本来は円筒型だったのですが、情報によると第2東名高速建設の関係で撤去され、残骸が残るのみのようです。



パソコンで閲覧している方向けに、全てを1枚につなげた大きいサイズ版をご用意しました。
かなり横長ですが、モバイル端末でも見ることはできます。



*** 追記 ***

1946年に米軍が撮影したという航空写真を見つけました。
それはつまり、実際に営業していた時期の写真という事!
さすがに全てを理解できるほどハッキリ写っているわけではありませんが、じっくり見て行きましょう。

Click!
国土地理院 航空写真より

まずは五和駅周辺
貯木場、及び索道の駅の規模がわかります。
まさに最盛期の頃、といった感じでしょうか。
クリック後の写真に補足を入れていますが、五和駅の所をよく見ると貨物列車が停車しているのが分かります。
また、現役の鉄塔が特徴的な影と共に写っているのも、見逃せないポイントです。

Click!
国土地理院 航空写真より

現在の写真に重ねての確認まではしていませんが、鉄塔の位置をずっと追いかけることが可能です。

Click!
国土地理院 航空写真より

もちろん、大井川中の鉄塔も現役の姿。
残念ながら向谷駅周辺は見切れていてハッキリしません・・・。
しかしこの一連の写真によって、かなり当時の姿が見えてきました。


今回の写真も、パソコンで閲覧している方向けに1枚につなげた大きいサイズ版を用意しました。

*** 追記終わり ***



さてさてこんな感じで、なんとか面影を辿ることはできました。
しかし“当時の”という意味での遺構は鉄塔跡の残骸のみで、これもいつまで残っているかわかりません・・・。



名所File No.05
大井川鐵道 五和側線

営業時間:営業終了
所在地:静岡県島田市竹下・島・向谷
交通アクセス:大井川鐵道 合格駅より 徒歩8分







調査完了。

*本稿の作成にあたって金谷コミュニティ委員会広報部の斎藤副部長様に多大なるご協力を頂きました。
*ありがとうございました!

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