大井川沿いの小吊り橋
境川吊橋
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短編 補強にはシンプルな技術がある。
大井川沿いには、大小様々な吊り橋が架かっています。
特に有名なのは
久野脇橋(恋金橋)や
寸又峡の夢の吊橋でしょうか。
しかし主要道から ちょいと外れた場所にある、愛おしき
小吊橋を訪ね歩くのもまた楽しいもんです。
今回の物件はそんな小吊橋の一つ。
場所は、このサイトではお馴染みの大井川の支流、
境川。
その境川と大井川の出会いの地点にほど近い、こちらの場所。
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国土地理院地図より
地図にも描かれていない この小吊橋について、まずは知識武装から〜
と思い ちょいと調べてみたわけですが…。
現時点では
名前も由来も歴史も何にも分かっておりません。
FileNo.10境川橋の調査の際に多くの情報を与えてくれた
【川根本町の古道】(中川根町史研究会・平成29年発行)という資料にも この吊橋に関する記述は無く、古い写真さえも見つからないという体たらく…。
実はこの吊橋、自分が子供の頃に何度か渡ったことがあるんですよ。
橋の下の淵に小魚が多くいて、それを釣りに行ったりして。
確か
木製の小さな吊橋で、
上下方向にとてもよく揺れたという印象が強い。
んで、そんなあやふやな記憶を頼りにして 昨年の
FileNo.10境川橋の調査の際に立ち寄りまして、 現在の姿を写真に収める事ができた、と。
それを今回 紹介しよう、と思い立ったわけですが。
「ああ、昔の写真を撮っておけばよかったな……」という後悔ばかりが膨らみっぱなし。
訪問から かなりの長期間このネタを寝かせていた理由は、どうにも変わり果てたその姿に躊躇っていたから。
境川右岸側から接近。
もう近くに見えていますね。
そう、だって、現在は…
こんな御姿なんですもの。
わかりますかね?
この
新旧ごちゃまぜ感。
昭和と令和のハイブリッド吊橋。
何をもってそう表現したかと言えば、
足元がこんな感じだから。
踏板と横板が昔のまま。
ところどころ、
木が腐ってボロボロになっている箇所も見受けられますよ。
どうやら新規に架け直す事はせずに、
もともとの吊橋の部材を残しつつ、主塔の立て直し+最小限度の補強で現役使用している といった感じらしい。
補修箇所としては、大横板の下と欄干支柱にL字鋼を貼り付けつつ それを主索で吊るようにしている点が挙げられるでしょうか。
また、両側の転落防止ネットも追加されていますね。
しかし一般に通行を開放するには
さすがに危険であると判断が下された結果が、大量の注意書きに現れているわけです。
関係者以外 通行禁止
ですよねー。
写真では少し見えづらいですが入り口はチェーンで封鎖され、中部電力の関係者しか渡ることを許されていません。
ここで、
日本全国の吊橋を網羅しているWEBサイト【河童倶楽部】様の情報を当たってみると、
「境川ダム下流吊橋/境川(大井川水系)」との見出しで当地の写真が紹介されていました。
しかしどう見ても、
“通行禁止”の立札・看板が…無い…?
訪問日が
2018年になっている事から、どうやらここ数年の間に通行禁止措置がとられたようです。
そして 橋にはこのような標示が。
FileNo.10境川橋の項でも触れましたが、ここ
境川は現在
河川改修工事中であり、昔の面影は急速に減りつつあります。
通行禁止措置が取られたのは、標示にある
令和2(2020)年の可能性が高い。
また、
幅が1.7m、長さが約30mあることが分かりましたが、橋の名前を示すような何かは見つからず仕舞いです。
そしてこれが
境川左岸側からの眺め。
小規模ながら、
なかなかに愛くるしい姿ですよ。
え?
通行禁止なのに
どうやって渡ったのかって?
やだなあ、野暮な事は言いっこなしですよ!
歩いて渡ったに決まってるじゃあないですか。
川を。
大雨の後などで上流の境川ダムが放水でもしない限り、
小川然とした流量しかないのでね。
長靴・川靴履きなら、どこでも
渡る事が可能 というわけです。
んで、入り口はこちら側も
同様の措置。
正直、
3人も同時に乗るのは 非常に怖い わけですが…。
そもそも この吊橋は何のためにあるのか?
今現在の話をするなら、それは
境川左岸側(写真対面)にある畑への交通手段 & 中部電力の巡視路 という事になるでしょう。
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しかし古くは
他集落への連絡道として往来があったのではないか というのが自分の予想です。
おそらく今では自然に還りつつあると思われますが、突き当たった山の斜面には 九十九折で登っていく徒歩道がありました。
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川根本町の古道より
これは
【川根本町の古道】掲載の図。
図中の
「平谷街道」が現在の
「町道瀬沢境川線」にあたります。
明治初期に大井川に通船許可が下りた際、川に面した平谷地区は交易物資の集積地として栄えます。
ここで陸揚げされた交易品は遠く西の
春野町方面へ運ばれることになるわけですが、(
FileNo.7参照)その輸送を円滑に行うために
村松嘉蔵なる人物の主動によって この
「平谷街道」が荷車道として整備されました。
明治19(1886)年の事です。
現段階では、今回の吊橋から続く徒歩道を行くと「平谷街道(町道瀬沢境川線)」に出る事までは確認できています。
しかしその先が さらに山の上へ向かって続いていたのかは不明…。
古い時代の地図でも見つからない限りは、辿ることは不可能っぽい。
架橋年代の特定は、今後の情報待ちといったところですね。
次に
吊橋の構造について見てみたいと…思ったけど…下からの写真を撮り忘れた…。
残念ながら文字での説明になりますが、まず
踏板の下には並行に細い鉄線が何本も走っています。
この鉄線の上に、
横板と
主策で吊っている大横板が交互に並べられ、さらにその上に
踏板が固定されているという構成。
また、橋長が短いためか、
耐風索はありません。
揺れます。
いわゆる
『大井川型吊橋』の小型版と言った感じでしょうか。
Google Map ストリートビューより
これは
『大井川型吊橋』として馴染みのある例、
【久野脇橋(恋金橋)】の様子。
こういった吊橋の構造について いつかまとめてみたいなと思っているのですが、さすがに知識不足。
とてもじゃないけどクオリティが保障できないので、願望のまま終わりそうです…。
さてさて、今回の物件はいかがだったでしょうか?
既に当時のままの姿ではありませんが、末永く生き残ってくれたらうれしいですね。
それから、皆様の周りにある風景、建物などなど。
何てことない物でも どんどん写真に撮っておいたほうが良いですよ。
遠い将来、
どこかの誰かが調査に来た時に、とても助かりますからね!
名所File No.M02
境川吊橋
営業時間:年中無休(但し、関係者以外通行禁止)
所在地:静岡県榛原郡川根本町
交通アクセス:川根本町町営バス 三津間戸停留所より 徒歩10分