巨大遺構を見に行く
昭和橋
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第1話 いちばん好きな橋は吊橋だった。
大井川右岸に走る
国道473号を北上し、家山、抜里地区を経て石風呂集落に入る地点。
GoogleMap ストリートビューより
国道473号線は
静岡県道77号線との分岐を迎えます。
国土地理院地図より
この県道77号を直進し、地名地区へ渡るために大井川に架かる橋、それが
【昭和橋】
ですが、今回の物件はこの橋ではありません。
ここから大井川上流方向へ視線を移したときに見える
巨大な主塔こそが今回の主役。
【旧昭和橋】
の、遺構です。
とにかく
巨大。
写真ではサイズ感が伝わりづらいのが切ないですが、高さはゆうに
15mはあるでしょうか。
横から見た時の形状はアルファベットの“A”の形。
コンクリート製で、とても堅牢に見えます。
この巨大遺構の存在は昔から知っていましたが、いつも横目で見るだけで来歴など調べるのは初めてです。
手始めにweb上で検索をかけてみると、この橋について言及しているのは3サイトほど。
これらのサイトにある情報を統合すると、おおよそ次のとおり。
1.現行橋の前に使われていた吊橋である。
2.石風呂側(右岸)の主塔は容易に近づけるが、地名側(左岸)は不明。
3.石風呂側主塔の右側橋名板には【昭和橋】と書かれている。
4.同左側橋名板には竣工年が書かれているようだが、植物により読めない状態。
5.車も通行できる吊橋であった。
6.航空写真が面白い事になっている。
と、こんなところでしょうか。
まず
1番について。
これは4番と被る内容ですが、とりあえず現地で旧橋・現行橋の両方の橋名板を見る必要がありそうです。
2番。これは何としても地名側主塔に行きたいところ。
3番・4番は現地で確認。
5番はどのサイトも根拠となる資料を示していなかったので、どんな形でもいいから裏を取りたいところ。
で、
6番の航空写真というのがこちら。
Click!
国土地理院 航空写真より
まずは
1963年(昭和38年)頃のもの。
川幅が200m近くある場所なのに、橋の途中に橋脚の影が見られない事から吊橋であると推定。
解像度が低いせいで肝心の主塔の辺りはぼやけて見にくいのが残念ですが、
接続する道路や当時の葛籠小学校の位置などから見ても、
旧橋で間違いないと思われます。
ちなみに写真上端に写っているのは今は無き
“地名発電所”ですね。
1961年(昭和36年)の3月までは運転していたようなので、稼働停止になってまもない頃という事になります。
お次は
1975年(昭和50年)頃の写真。
Click!
国土地理院 航空写真より
これは確かに奇跡的な写真!
現行橋の位置に、接続道路が作られています。
橋本体はこれから施工、といったところでしょうか。
葛籠小学校は1969年に当時の川根町立川根小学校に統合されているので、正確には“小学校跡”となります。
そして最後に2022年(昭和97年)の写真
Google Map 衛星写真より
地名側の主塔は木々にうずもれて、全く見えなくなっています。
写真中に注釈は入れてありませんが、地名発電所は2011年に解体され今は更地となっています。
また地名小学校は1989年に当時の中川根南部小学校に統合となり、跡地は川根本町の子育て支援施設として利用されています。
3枚の写真を重ねてみましょう。
国土地理院 航空写真、GoogleMap 衛星写真より
[1963年]
[1975年]
[2022年]
写真下の年数をクリックすると、写真が切り替わります。
橋周辺の生活道はあまり変わりなく、県道77号の建設過程が目立っていますね。
工事前の1963年頃は木々が連なっているように見えますが、どうなっていたんでしょうか?
地名発電所からの放水路でしょうかね?
また、1975年の写真に見える地名発電所下側に広がる土地は、同年の10月10日に開所となった“地名グラウンド”ですね。
これは現在の写真でも確認できます。
とまあそんなわけで、
旧昭和橋跡、行ってみます!
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