巨大遺構を見に行く

昭和橋

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第2話 その風格は本当に美しかった。




今回は現地のレポートとなります。
まずは現行の昭和橋から見ていきましょう。

Click!


右岸側橋名板には漢字で【昭和橋】、左岸側はひらがなで【しょうわばし】と記されています。
と書いたものの、ご覧のように植物が生い茂っているせいで【しょうわばし】なのか【しょうわはし】なのか、までは確認できていません。
と言うのも、“川が濁らないように”という願いから【〇〇はし】と濁点を付けない書き方をする場合が、慣習としてあったりするようなのです。
それがどんなレベルでの“慣習”なのかまでは分からないのですが。
脱線ついでに書くと、漢字で書かれている側が橋の入り口(起点)で、ひらがなで書かれている側が橋の出口(終点)なのだそう。
もともとは日本橋に近い方を起点としていたそうですが、現在は必ずしもそうではないみたいです。

話を戻しますが、車道と歩道を分ける欄干部分には、県道77号線を示すシールが見られます。
また、その足元には橋の諸元を表すデータが記されていたのですが、写真を撮ってませんでした・・・。(以下に追記あり)
そして重要な竣工年についてですが、昭和53年10月竣工となっています。(昭和53年は1978年)
前話で2番目に紹介した航空写真が1975年(昭和50年)頃のものなので、まさに施工前〜施工中の写真だったのでしょう。

*** 追記 ***

昭和橋諸元

昭和橋の諸元表を写真に撮ってきました。
*** 追記終わり ***

そして旧昭和橋へ。

旧昭和橋

まずは石風呂側(右岸側)主塔から。

実に威風堂々とした佇まい。
事前情報の通り、主塔には橋名板が残っていました。
こちらが右側。

旧昭和橋

旧字体の昭和橋。
良いですねぇ・・・。
そしてこれまで写真の無かった左側。

旧昭和橋

見える。見えるぞ!

昭和三十一年六月竣功
施工高松組


とても重要な情報を入手。(昭和31年は1956年)
前話の航空写真1枚目が1963年頃のものなので、写っていたのは この主塔を擁した吊橋で間違いないようです。
また、現行橋が昭和53年竣工である事から、この旧昭和橋(吊橋)は22年ほど使用されていた事が分かります。

コンクリートの台座に上がって、下から見上げてみます。

旧昭和橋



旧昭和橋

もはや恐ろしさすら感じる高さ。
そして台座の川べりはこんな感じ。

旧昭和橋

ここからどんな感じで吊橋が始まっていたのでしょうか。

そして対岸の主塔は樹木に呑まれてどうなっているのか不明、となっていたわけですが・・・

旧昭和橋

うわぁ・・・。

かっこえぇ・・・。


で、実はどうにも拭えない違和感があるわけですが、まずはこの写真。

旧昭和橋

主塔直下から石風呂集落方向を見た状態。
正面には やや右方向にカーブしつつ農道が延びています。
この状態を横から見ると、

旧昭和橋 Click!

1mほどの高さがあるわけです。
もしこの吊橋を車で渡るとしたら、黄色線で描いたように なだらかなスロープがあったはず。
この台座の上流側(写真奥側)に向かっては なだらかになっていますが、
橋を渡り切った車両が直角90°に曲がって、しかも“A”型の股下を潜ってそちらへ通り抜けることは、まず不可能でしょう。
実際、前話で見た航空写真においても そのまま真っすぐ道は続いているようです。



航空(衛星)写真は強力な武器ですが、高さ方向についての情報ばかりはどうにもならない・・・。

主塔の台座は後で削った様子はなく 元からこの大きさ・形で作られているようなのです。
果たして当時のこの接続部分はどうなっていたのでしょうか?
写真でも見つかれば解決するのですが・・・。



さて、次は地名側(左岸側)の主塔を見に行きましょう。

結論から言うと、あっさりと辿り着けました。呆気ないくらいに。
行き方はこちら。



現行の昭和橋を渡ってすぐに左へ。
すると、森の中へ向かう地図にない道が見えてきます。

旧昭和橋

さっそく、この怪しい小路を進んでいきます。
道は意外にも舗装されており、全くの廃道という感じもありません。
うっすらとですが、軽トラックあたりの轍状に路面が見えています。

旧昭和橋

そしてこの若干の登り勾配を進み切ったあたりから ゆるやかに右にカーブしていますが、そこを超えると・・・

旧昭和橋

!!


見えてきました。地名側主塔。
周辺のうっそうと茂る森と相まって、まるでRPGの神殿もかくやといった雰囲気。

さらに寄ってみます。

旧昭和橋

この貫禄よ。
しばし圧倒されること数分。
当初の目的を果たすべく、調査を開始します。
石風呂側の主塔にはあった右手前側の橋名板ですが、

旧昭和橋

なぜか撤去済み・・・。
これは左手前側も同様。

旧昭和橋

なんか、撤去という表現を超えていますが。
この橋名板はどこに行ったのでしょうか・・・。

そして、ここが最大の謎

時速20km制限

主塔右奥側に描かれた時速20km制限の表示。

そしてこれが左奥側。

旧昭和橋

風化が酷くて読めませんが、こちらは“20”では無いようです。
もしかしたら車重制限かもしれません。

なんにせよ、これは旧昭和橋“自動車も通行可能な吊橋”であった事の証拠になりうるんでしょうか?

まず真っ先に浮かぶ疑問点として、なぜ“看板”ではなく“柱に直書き”なのか。
そして、なぜ石風呂側の主塔にはこれがなかったのか。

まだまだ、調査を続ける必要があるようです・・・。

とりあえず、そのまま先端まで歩いてみます。

旧昭和橋

調査日前日の雨により、大井川は濁流でした。
正確な数字は分かりませんが、ここから水面までの高さはなかなかのもの。

旧昭和橋

木々の間から、対岸の主塔をなんとか望むことができます。

この二本の巨大遺構は、役目を終えた今でも 大井川を挟んで静かに立ち続けています。






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