古の木馬道を辿る
八光山森林軌道
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第4話 ――君、国有林は要らないかね?
現地調査編 〜後編〜
この現地調査編は、下図のように4区間に分けてレポートします。
*1話当たりのボリュームが多くなりすぎたので、調整しました。
Click!
国土地理院地図より
写真をクリックすると現行地図と古地図が入れ替わります。
軌道跡沿い最奥と思われる茶畑を過ぎたとたん、道の様相が変わったのがわかります。
轍こそ残っているものの、1年近く車は通っていないんじゃあないか?これ・・・。
というのが正直な感想。
写真24
おいおい。
少し進んだ所で、
最初の障害が。
写真では伝わりにくいかもしれませんが、自転車に乗ったまま下を潜れるサイズの
巨大倒木。
これは・・・車は通れないな、うん。
とはいえ見た感じでは、この木が本来あるべき姿を失ってから そう時間は経っていない様子。
もしかしたら昨日の大雨で倒れたのかもしれません。
そして気づけば足元は
未舗装道路。
この先はどうなっていくのでしょうか。
写真25
良い感じに荒れてるなあ…。
先ほどまでの路面とは大違い。
写真26
しかし土砂崩れと言うほどの崩壊ではなく、大雨で山側の土砂が流れ込んだような感じ。
自転車は押して超えるしかありませんが、特に問題なくクリア。
と ここで私は、
野生生物の生存競争そのものを間近で目撃する事に!
お互いの命を懸けて牙を向け合うその様子は、まさに死闘!
Click!
この
死闘を最後まで見届けてあげたかったが
しかし、私も先を急ぐ身。
スマンスマンと言いつつ そっと横を通り過ぎてさらに進むことに。
写真28
このあたりで再びの
コンクリート舗装ですが、雨のせいで路肩が抉れています。
道幅がかなり狭く見えますが、路面の山側半分が土砂で埋まっているせいでしょう。
写真29
わずかな直線路の先に、大きめの支流と堰堤を越える滝が見えてきました。
写真30
この日の水量が多い事も相まって、かなりの瀑布状態。
この支流と堰堤は、国土地理院の地図にも載っています。
国土地理院地図より
が、見ての通り
道路(黒い実線)が描かれているのはここまで。
そう。この地点は
第1話で確認した昭和30年初期の地図(既に軌道が描かれていない地図)において、
両側実線の自動車道が1本の細実線に変化する地点なのです。
Click!
国土地理院地図より
とりあえず
徒橋(徒歩用の橋)の記号で支流を超えて、さらに奥まで(今回の探索対象である木馬道の終点まで)細実線は続いているわけですが、現在はどうなっているかと言えば・・・。
☆彡 まだまだ続くよ! ☆ミ
というか、
予想よりも上等な姿で続いていくその道は、
どう見ても自動車道。
未舗装ではあるものの、轍も残っています。
終点までの道のりがどうなっていくのか楽しみではありますが、まずはこの
堰堤前の看板に目が行きました。
Click!
まあ、肝心の1行目が読めないわけですが・・・。
とりあえず、
という部分だけは確認。
関東森林管理局というのは林野庁内の組織で、静岡県を含む1都10県にわたる区域の
国有林を管理しているとのこと。
しかしここに書かれている
東京分局という管轄区分は2004年(平成16年)の国有林野事業の組織再編により既に
廃止されています。
現在は
静岡森林管理署の管轄区域となっており 当然そう書かれているわけですが・・・。
その部分をよく見ると、どうやら
後からシールか何か貼って修正したようで。
と言うより、そもそも この
関東森林〜という部分だけ綺麗すぎますよねぇ。
どうやらこれも、
元の看板に部分修正を加えたもののようです。
となると この看板を設置したのは、それより前の管理組織という事ですかね?
で、写真下の一文
“肝心の1行目が〜”という呟きが出たわけで。
「この付近は〇〇〇〇〇です。」
の所が、けっこう良い感じの手がかりになるのでは、と思ったのですが。
ところで上に書いたように、
関東森林管理局は国有林の管理組織。
という事は、この辺りの山林は
国有林なのでしょうか?
そんな標識とかあったっけ・・・?
とりあえず第1話で検証に使用した古地図には、この一帯から南側が
“大代御料林”であると記されています。
御料林とは明治時代に皇室財産に編入された森林のことで、宮内省に設けられた
御料局(後の帝室林野局)が管理していました。
しかし第2次大戦後の皇室財産解体により、現在では全て
国有林となっています。
この辺りの山林も、同じ流れを辿ったという事でしょうか。
そこで
関東森林管理局のサイトを見てみると、
国有林の図面を参照できました。
この中の
【静岡森林管理署】静岡の所の片番号52(1201〜1204林班)がまさにこの地域に該当し、国有林として登録されている事がわかります。
とすれば この
八光山森林軌道の敷設は、時代の違いによる性質の差こそあれど、
国家事業だったのかもしれません。
さて、探索に戻りましょう。
ここから先は、現在の地図には無い道のり。
果たして終点はどうなっているのか?
次回は、
現地調査編 〜最終話〜
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