古の木馬道を辿る

八光山森林軌道

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第5話 これは、あるひとつ軌道の死を辿る物語である。


現地調査編 〜最終話〜

この現地調査編は、下図のように4区間に分けてレポートします。
*1話当たりのボリュームが多くなりすぎたので、調整しました。

八光山森林軌道 Click!
国土地理院地図より

写真をクリックすると現行地図と古地図が入れ替わります。



林業技術2000年7月号(PDF)の9ページ目に、「特集 20世紀の森林・林業●Y 伐木・集運材」という題で、日本全国で起こった木材の運搬についての出来事が年表にまとめられていました。
この年表の1902年(明治35年)の事項に、「大井川流域に木馬導入(桟手・橇・駿動車)」(林業技術2000年7月号より)と書かれています。
“桟手”が木材搬出方法の一つというのは分かりましたが、“駿動車”とは何でしょうか?

“大井川流域”と一口に言っても木材の搬出は至る所で行われており、この八光山もそうであったのかはわかりませんが、一つの目安にはなりそうです。
ちなみにこの年表に“大井川”というキーワードが登場するのは、この年だけです。



さて、今回のレポートはここから。

八光山森林軌道
写真31

いよいよ、終点までの区間となります。

八光山森林軌道
写真33

未舗装路がずっと続いています。

八光山森林軌道
写真34

どこを切り取っても良い眺め。
八光川との境目には、玉石積みの護岸が成されています。

八光山森林軌道
写真35

路面はずっとこの状態。
降り積もった落ち葉などで、轍どころか地面も見えません。
自転車のタイヤが埋まったり、木の枝がスポークに絡まったりするせいでまともに走れないため、乗るより押している時間の方が長くなってきました。
この先、路面状況が良くなるような気配は感じられないので、自転車様にはここで待っていてもらいます。

そう、ここからは歩きで。

八光山森林軌道
写真36

今回、一番お気に入りの写真。
多段の小滝を経た川の流れが小さな淵を作っています。
見ているだけで癒される、大好物の情景ですよ、これは。
せっかくなので、少し大きいサイズの画像を置いておきます。

と、ずっと見とれているわけにもいかないので正気に戻りますが、写真中央あたりの擁壁はこれまでと少し作りが違うようです。
施工した時期が違うのでしょうか?
もっと近づいて観察しておけばよかった…。

擁壁中央の開口部から水が流れ出ています。
ここは小さな沢との合流部で、コンクリート製の暗渠に 釣り鐘型に開けられた穴から沢の水が流れ出ているのです。

で、実はこの写真を撮る際に立っている場所からも、チョロチョロと水が流れ出ている事に気づきました。
足元をのぞき込むようにして撮った写真がこちら。

八光山森林軌道
写真37

う〜ん・・・なんだこれ?
どうやら鉄製の補強材と木材からなる桟橋のような構造物でこの足元は成り立っている様子なのですが。
正体を見極めるには、上に被っている大量の土砂を退けないと無理そうです。

それでは、先述の沢を超える部分に話を戻しましょう。

八光山森林軌道

ここに流れ込んでいる沢というのが、

八光山森林軌道

こんな感じ。
水の量こそ少ないものの、けっこう深いV字の谷でした。

で、とても気になったのがこちらの物体。

八光山森林軌道 Click!

暗渠の山側というか沢側にあったこれ。

これ・・・これはもしかして・・・。

木橋の残骸ではなかろうか・・?

よく見ると(クリック後の写真)、橋台のような木材が埋まっているようにも見えるし。

八光山森林軌道 Click!

これは沢の反対側(八光川の上流側)から撮ったものですが、ここでも横方向の木材が確認できます。
が、これを橋台とするには ちょっと位置が低すぎるなぁ…。
長年 風雨にさらされたことで、周りの土砂ごと ずり下がったのかもしれません。
一緒の位置に写っている板材のように見える木は、踏板でしょうか?

八光山森林軌道 Click!

丸太を束ねていたであろうワイヤーの輪の内径を見ると、せいぜい2本分。
ワイヤーで一緒に括られている細い木は、隙間を埋める補助的な役割ではないかと。
実際にそんな使い方をするのかは分かりませんが…。

何にせよ これらの事から考えて、徒歩で沢を渡るための いわゆる丸太橋の残骸だと予想します。

となると、沢歩きを趣味にする人にとっては それほど珍しい物でもないのかもしれませんね…。

残念ながら今回の木馬道とは無関係っぽいですが、なかなかの年代物であることは間違いないでしょう。
(もっと大量の木材がまとまって残っていれば、「現在の軌道跡と同じ高さを渡るための橋の一部だったのでは?」と想像することもできるのですが…。)

八光山森林軌道
写真44

路面上の落ち葉・枯れ枝の量は相変わらず。
輪行から歩きに変更したのは正解でした。
もはや安全に走行するのは不可能です。

八光山森林軌道
写真45

終点にかなり近づいたな、と感じるころ。
短いストレートの先に、かなり明るく開けた場所が見え始めました。

八光山森林軌道
写真46

「キターーーッ!」と思わず叫びたくなるような、終点近くを予感させるに充分な景色の変化。
しかし意外にも、「キ…」まで言いかけたところで口から出た次の言葉は「うっ・・・」でした。


あー、これ・・・ちょっと・・・ヤバいやつだ。


体中から一気に吹き出す
頭を締め付けるようなイヤな感覚。


ここに長く居るのはマズイ・・・。
逃げ出したいっ!



とまあ、たまにはこんな表現をしてみたかったんですよね。
あ、ちなみにオカルト的なヤバいではないですよ、全然。



ここは…、

暑すぎる。

夏の盆地は暑い!というのは一般的な話ですが、それと同じ現象なんでしょうか?
とにかく暑い。
この日が たまたまそうなのかわかりませんが、風もなく、周囲の熱気が全てこの場所に籠っているような感じ。
気温を測れば良かったなー。

木々の日よけと白光川の涼しさに守られたここまでの林道歩きは一転、灼熱の苦行に変わってしまいました。
長時間滞在すると、熱中症になりそうです。
先を急ぎましょう。

八光山森林軌道
写真47

左手には伐採・植林の済んだ山肌が見えています。
今回の軌道跡が 今でも自動車道然とした姿を保っていられたのは、近年まで作業道として有効利用されていたからでしょう。

GPSの現在地情報によれば、この写真に見えている頂点こそが、今回の木馬道終点を推定するのに目印にした大垂滝下流のピークのようです。
ここを回り込んだ地点が終点のはず。
ようやくここまで来ました!

八光山森林軌道 Click!

うをっ!!
と、山側からの突然の刺客、ニホンカモシカ。
ビックリしたーーーー。(実は本日二度目)
近年ではかなり下流域まで生息範囲を広げている彼らなので 正直珍しくもないんですが、突然の飛び出しは心臓に悪いですよ。

八光山森林軌道
写真49

水道設備のような物を発見。
水色に塗られた杭には、前山水道と書いてあります。
“前山”とは、ここの北側に位置する島田市家山地区にある山の事でしょう。
そちらから水を引いているのか何なのか。

八光山森林軌道
写真50

しばらくは開けた場所を進みます。
山際に繁っているシダ類の様子を見るに、ここは普段から湿度が高いようです。
時間によっては、濃い霧なども発生するのではないでしょうか。
すぐ傍を小川が流れているのだから当然ではありますが。

八光山森林軌道

2つ上の写真の右側にも見えていますが、白光川岸には丸太の切れ端というか切り株様のものがゴロゴロと打ち捨てられていました。
いつ頃の物かまでは判断付きませんが、かなりの量。
このあたりが、かつて木材の切り出し地点であったことを物語る証拠の一つと言えるのではないでしょうか。

八光山森林軌道
写真52

終点まであと少し、あとカーブひとつ!
という最後のストレート地点で発見したのが、この写真にあるコンクリート製の細長い構造物。

で、これは〇〇の跡だ!

と断定してみたいところですが、正直、これが何なのか皆目見当もつきません。
それこそ今回の路線が鉄道跡索道跡であれば もう少し想像力が働くのかもしれないですが・・・。
現段階での自分が持ちうる林業施設についての知識では、これが関係する物なのか 無関係の物なのか の判断すらできず。
今後の他物件の調査過程で、判明する日は来るのでしょうか。

八光山森林軌道
写真53

うをっ!!
と、山側からの次なる刺客、ニホンジカ。(メス)
ビックリしたーーーー。(本日通算三度目)

飛び出して来たかと思えば、そのままの勢いで逃げ去ったので写真は間に合わず。
足元を見てみれば、確かにコロコロした黒豆がそこかしこに。
ホントに心臓に悪いわ。

八光山森林軌道
写真54

さらに進むと、北側の山斜面には崩れた跡が。
崩落してから結構時間が経っているように見えます。
この斜面は白光川を挟んで対岸になるので、おそらく前話で書いた“大代御料林”には含まれていないはずです。

八光山森林軌道
写真55

そしてついに、やっとのことで、

終点到達!!


…うん、何もない!!

まあ最初から分かっていた事ですが。
もう少し先の辺りまで調査してみたかったのですが、ネットに遮られてこれ以上進めません。
まあしかし既に植林が進んでいる事もあって、目に見える範囲ではこれ以上の発見もなさそう・・・。

って、わかってますよ。
足元の これ ね。

八光山森林軌道

コンクリート製の細長い構造物。
数枚前の写真にも写っていましたが、しばらくは途切れた状態でした。
それがこの終点間際で またしても登場です。
ん〜、何でしょうかね、これは・・・。
無関係なら無関係で構わないので、ハッキリしたい。
ちなみにこれらは、GoogleMapの衛星写真でも確認できます。


近辺に他に何かないかとしばらくウロウロしてみましたが、特にこれといったものは見つからず。
さすがに暑さが半端ではないので、これにて探索終了とします。



*** 8月追記 ***

問題の細長コンクリート構造物にそっくりな物が写った写真を見つけました。

「特撰 森林鉄道情景」(西 裕之 著 2014年発行 講談社)という、森林鉄道ファンにとってのバイブルのような本。
その本の“集材所”の項目(P146)のところに、「索道による下部盤台の集材所。王滝森林鉄道蜂渕(はちぶち)。王滝営林署」という題名を添えてその写真はありました。

王滝森林鉄道と言えば、長野県の木曽谷にある国有林の運材のため運行していた、大規模森林鉄道のひとつ。
木曽地方を走る森林鉄道の中でも この王滝森林鉄道は比較的近年まで残っていた(1975年廃止)事もあり、ファンの間ではとても有名な路線です。

でまあその肝心の写真ですが ここに載せるわけにはいかないので、極めて簡略化した図を描いてみました。

集材所

上から見た状態の概略図。
こんなので伝わると良いのですが…。

軌道上の運材車の左右に、細長いコンクリート構造物(もしかしたら石かも?)が写っています。
レールは索道に対して並行に敷かれており、作業員が索道上部からの木材を待ち受けている1シーンのようです。

集材所

これは正面から見た状態。
高さ関係については、この図で分かって頂けるでしょうか。
レールの敷かれている道床部分に対して、左右の地面は一段高くなっています。
コンクリート構造物はどうやら、両脇の土が崩れてこないようにする土留めの役割のようです。

この頁の説明文を引用させて頂くと、
「集材所は架線や索道によって運ばれてきた木材を運材貨車に積み込む所で、大体が集材機の架線が上に張ってあって吊り上げて直接積み込むか、いったん架線から降ろした木材を作業員が数人で転がしながら積み込むことが多い。この場合はプラットホームのような木組みがあらかじめこしらえてあることが条件である。」(特撰 森林鉄道情景より)
となっています。

集材所

作業員が転がして積み込むパターンの場合は、こんな感じでしょうか。
しかし説明文には“プラットホームのような木組み”とあるので、もっと大規模な物なのかもしれません。
実際、件の写真の下には「王滝森林鉄道うぐい川線助六の集材所と集材機。昭和49年8月」とされる別の写真が載っており、そこには確かに木造の大型プラットホーム状の物が写っています。
こっちが正解でしょうか?
しかし、若干レールから離れすぎているような気もしますが…。

とまあ、以上が今回見つけた写真の説明になります。
では、今回の物件の木馬道に当てはめた場合はどうなるでしょうか。

写真では、鉄路上の運材車に索道から直接積み込む作業の様子を写していました。
これが木馬(橇)であっても、方法は同じだと思います。
しかし現時点で 御料林から切り出した木材を運び出すための索道が、どのように通っていたかは分かっていません。
軌道跡の左手方向に“御料林”があるのは確かなのですが…。

とりあえずここでは、一度地面に降ろした木材を“転がして積み込む方式”について考えてみます。
仮貯木場が1か所ならば、軌道の片側にだけプラットホームがあれば充分に用は足りるはず。
つまりはこんな感じに。

集材所

可能性はかなり高いと思いますがどうでしょうか?

八光山森林軌道

もし仮説が正しかったとしても、現状は見ての通り、構造物の上面を残してほぼ埋まっています。
軌道廃止後にトラックが乗り入れていたことは ここまでの探索で確認できているので、それ自体に疑問はありません。

…ここをちょっと掘ってみたら、何か出てくるんでしょうか…?

*** 追記終わり ***



いやはや なかなかの“旅”でした。
運よく天気にも恵まれ、どこを見ても美しかった。
このまま只の廃林道として放っておくのは勿体ない、ぜひ遊歩道として整備を…
などといらぬ妄想を語り出しそうになりますが、それは余計なお世話というもの。

結局のところ、軌道そのものの素性は ほとんどわからずじまいなわけですが、まあまあいつか答えに辿り着く日も来るでしょう。



名所File No.08

八光山森林軌道

営業時間:営業終了
所在地:静岡県島田市高熊
交通アクセス:大井川鐵道 福用駅より 徒歩1分






調査完了。

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