古の木馬道を辿る
八光山森林軌道
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第1話 鉄道のことは木材の話からはじまる。
その日 自分は、
八高山に登るルート調査のため、他の方の登山レポを見ていました。
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国土地理院地図より
大井川側から登るなら、
大井川鐵道福用駅からのルートが一般的。
山頂には一等三角点があり、標高は832mと高くはないものの 人気のある山です。
そして今回の物件、
【八光山森林軌道】という名称を初めて目にしたのも この時だったと思います。
とりあえず軽く検索をかけてみるも、2〜3のブログサイトがヒットするのみ。
まあいつか現地調査してやるぜー、っと思い立ってから早数年・・・。
やっとその路線跡を辿ることができたので、今回の記事にしたいと思います。
最初に書いてしまいますが この
八光山森林軌道、残念ながら鉄路敷きの所謂
“鉄道”と呼ばれるものではなく、
木馬道であったようです。
「こんな所に森林鉄道が?!」とせっかくワクワクしたのに・・・。
木馬道(きんばみち、きんまみち、きうまみち)とは木材の搬出方法のひとつ。
進行方向に直行する向きで並べた
油を塗った丸太(盤木)の上を、
木製のソリに材木を満載して滑り降りていく、と想像すると分かり易いでしょうか。
木材搬出時には山の高い場所からの移動になるため ソリを人力で制御しつつ下り、緩傾斜地では渾身の力で引く。
搬出が終わって木材の切り出し地に戻るときは、ソリをかついで歩いて上る、と。
詳しくはとても書ききれないので 検索をかけていただくか、その手の本を読んでいただければと思います。
とにかく これにはかなりの習熟した技術が必要で事故も多く、大変危険な現場である、とどの資料にも書かれています。
ところで、そもそもこの
八光山森林軌道という名前、これは正式名称なのかどうなのか?
公的機関に届けられた名前が正しいと認識していますが、こういった
木馬道も届け出とか必要なんでしょうか?
そのへんがどういう決まりになっているのか、残念ながらそんな知識は持ち合わせておりませんで。
簡単にweb上で検索をかけてみると、どうやら
木材の伐採計画は各自治体に届け出ることが
条例で決まっているような印象を受けます。
しかし
木馬道の敷設についての記述は見つけられず。
この伐採計画書の中の搬出方法として記載するのか、はたまた木馬道敷設の為の書類が別にあるのか。
なんとか情報が欲しい所です。
2020年1月に、
「チェーンソーによる伐木等作業の安全に関するガイドラインの改定」という内容で、厚生労働省からの通達が出ていました。
その中に
「修羅(しゅら)による集材又は運材作業、木馬道及び雪そり運材に係る規定の廃止。」と書かれています。
(修羅とは、木材搬出用の大型滑り台のようなものを想像してください。)
まあこれを見つけたところで 門外漢の自分に読み取れるのは
「ちゃんとした国の規定があったんだなぁ」という事と
「わりと近年まで存在していた方法なのだな」という事だけなのですが。
ちなみに
“木馬道”で検索をかけると、
鳥取にある現役(2007年時)の木馬道について書かれたブログを見つけることができます。
では今回の物件名とした
八光山森林軌道という名称をどこから持ってきたのか。
実は
FileNo.5 で調査した五和側線の時同様、
【RM LIBRARY 96 大井川鐵道 井川線】(白井昭 著、ネコ・パブリッシング、2007)の中の例の地図に この路線名があったから、という簡単な理由。
正式名称が判明するまでは、このサイト上では
【八光山森林軌道】と呼びます。
次に知りたいのは、この路線が
どこをどう通っていたか、
いつ頃存在していたものなのか、という2点。
しかし未だに紙媒体での史料を見つけることができていないので、ここは地図から追ってみます。
調査に使用した地図がどこまで正確なのかは分かりませんが…。
まずは
1920年(大正9年)頃の地図。
軌道はまだ描かれていません。
家屋の分布も、現在とはだいぶ違っていますね。
大井川鐵道はまだ存在すらしておらず、大井川の中を徒歩で通る道が当時の交通事情をよく表しています。
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そしてこれは
1888年(明治21年)に測量され、
1940年(昭和15年)に修正が加えられたという地図。
白光川に沿ったルートで、特殊鐵道を表す線が描かれています。
そしてそれと共に書かれた
【林用軌道】の文字。
これが“
八光山森林軌道”で間違いないでしょう。
ルートを確認すると、
起点は大井川鐵道福用駅のすぐ横。
ここで、切り出した木材を 貨車に積み込んでいたはずです。
しかしこの位置を起点にしたという事は、敷設当初から 川狩りではなく大井川鐵道による輸送を想定していたという事でしょうか。
FileNo.5 の五和側線を利用した向谷への搬送は
昭和18年以降のはずなので、それ以前には金谷地区にいくつかあった製材所へ運ばれた木材もあったのかもしれません。
白光川(地図によっては八高川とも)沿いに高度を上げてきた軌道の線は、やがて終点へ。
八高山周辺の名所
“大垂滝”を下った地点にある小さなピークを、北側から僅かに回り込むようにして
白光川支流の分岐地点まで来たところで 線が切れています。
ここが
終点とみて間違いなさそうです。
地図上で測ってみると
全長は約5km、高低差は約190mほどとなり、平均勾配を計算すると
3.8%といったところ。
もっとキツイ勾配なのかと勝手に想像していたのですが、標準的な木馬道はどんな数字なのでしょうか。
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これは
1956年(昭和31年)から
1958年(昭和33年)頃とされる地図。
林用軌道の表記は既に無く、代わりに自動車道を表す線が描かれています。
しかしそれも軌道の終点までは続いておらず、途中からは細い実線に変わっているようです。
ハッキリと見えないのが残念ですが…。
何にせよ この時代でも木材の搬出が続けられていたのならば、トラックによる輸送に切り替わっていたことになります。
とまあ全体像がなんとか見えたところで、
八光山森林軌道跡 行ってみます!
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