国道473の急カーブ橋
境川橋
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第2話 山奥の橋が逆進化している
というわけで今回は、いよいよ現地調査編をお送りします。
まずは現在の
【境川橋】から見ていきましょう。
写真、ヘタだな…。
全体が収まるようなちょうどいいポジションが取れなかったせいだ、ということで…。
で、こちらが現在の
【境川橋】になります。
ここは国道473号線上、
境川右岸側(三津間地区側)から見た姿です。
曲がってます。
欄干の根元に生えた草が、年季の入り様を物語っています。
少し戻ると このように、
“一級河川 川根境川”の看板がありました。
これが正式名称のようです。
これが
左手(境川上流方向)の橋名板。
漢字で
『境川橋』とあり、こちら側が起点のようです。
材質をちゃんと確認してくるのを忘れました…。
そして右手(境川下流方向)の橋名板。
ハッキリとした年代が確定しました。
昭和35年(1960)9月竣工
およそ60年前の橋なのですねぇ。
下側を覗き込んでみると、こんな感じに。
橋脚は2本あり、
3径間のコンクリート橋となっています。
主桁は直線状に躯体間を跨いでいて、
上部構造だけが円弧を描いているようです。
この程度の川幅であれば
橋脚無し、又は橋脚1本で充分なのでしょうが、橋をカーブ状にするためには このように小刻みにするしかないのでしょう。
ちなみにこれは7月に撮影した写真ですが、11月現在は橋の補修(補強?)工事のため足場が組まれ、外観の確認はし辛くなっています。
では次に、瀬沢側に回り込んでみます。
気持ちいいほどの曲がりっぷりです。
センターラインはありません。
これが左手(境川下流方向)の橋名板。
平仮名で
『さかいがわばし』となっています。
こちらが右手(境川上流方向)の橋名板。
三津間側と同じですね。
前話での調査内容と合わせると、
1〜4代目 往還橋(又は境川橋):年代不明〜
5代目 境川橋:昭和35年〜現在
…と 暫定でこうなるわけですが、細かい年代についてはほとんど分かっていません。
どうしたもんか…。
とりあえず、橋の中ほどへ。
こちらが境川上流方向の眺め。
『〇〇峡』、と名前がついて
観光客がドッと押し寄せてもおかしくない!とは言いすぎですか。
紅葉の季節ならば、あるいはワンチャン…。
いや、ほとんど
杉だしな…。
さあそして、
これが境川下流方向の眺めです!
…と、もったいぶってみます。
そう、もうずっと、
チラチラ見えてました。
アレが。
Click!
そう、コレ。
旧橋の橋脚!!
ご覧の通り、この境川橋から大井川にかけての範囲では浚渫作業の真っ最中。(7月撮影)
それが幸運したのか視界が開けて、姿がハッキリと見えているではありませんか。
さっそく近くへ行ってみましょう!
これが橋脚の下流側へ回り込んでの一枚。
ここは
国道473号から三津間渡へ抜ける道の上。
境川沿いの切り立った崖の麓を這うようにある道です。
ここから境川にアプローチします。
旧橋脚越しに見る現境川橋。
これは7月撮影の写真のため、橋の外観がよく見えます。
そして、
旧橋脚ですよ。
「薄いな」というのが第一印象。
長期間 水の流れや流木・土砂の突撃に耐えるためには、強度を確保しつつも極力 抵抗を減らすことが重要だという実例とも言えるのでは。
幅は2mくらいでしょうか。
高さは2mちょっと。
橋脚の上面は植物が生い茂っていて、全く見えません。
それにしても、
良い雰囲気です。
大きいサイズ&別アングルはこちらから。
で、この旧橋脚はいつ頃の物なんでしょうか?
日本でコンクリート橋が初めて造られたのは、
明治後期と言われます。
しかしそれは主桁などの上部構造にコンクリートを用いた、本来の意味での
コンクリート橋の話。
今回のように
橋本体は木製で、橋脚、あるいは橋台のみがコンクリート製という事例については記録・資料共に激減する、というのが現状のようです。
自分がこの分野に詳しくないというのが大きな理由になりますが、外見からの年代特定はやっぱり難しい…。
とりあえず、苔生してはいるものの 目立ったひび割れや欠けがない事。
古い年代の鉄道橋脚によく見られるようなレンガ積みや玉石練積(石積みの裏込めにコンクリートを流したもの。石垣によく見られる。)の橋脚ではなく、全体がコンクリートに覆われている事。
下側の肌が荒れているのは土砂や流木で削られたためですが、砂利がボロボロ落ちるような酷い剥離は少なく、鉄筋の露出も見られない事。
等々の理由から、比較的最近(昭和初期)に施工された
鉄筋コンクリート製橋脚ではないかと予想します。
(あくまで後年の補修などがされていない場合の話ですが)
また もしこの予想が正しいのならば、少なくとも明治後期以前には存在したという
“初代”の往還橋のものではない事になりますね。
…まあ素人考えですのでね。
詳しい方からの見識をお待ちしております。
Click!
そしてそして、見えるでしょうか?
写真左手の藪の中。
ここにもありました。橋脚が。
現行の境川橋が境川右岸を起点としている事に倣って、これを
旧第1橋脚とでも呼びましょうか。
周辺の草が刈り払われていなければ、もしかしたら見落としていたかも…。
大きさは、先に発見した
旧第2橋脚とほぼ同じ。
こちらも上面は全く確認できませんが、それに加えて背面(岸側)を覗き込むのも難しい状態です。
この写真は10月に再訪した時のもの。
各地に大きな災害をもたらした あの台風15号によって大水が出たのはこの境川も同じ。
周囲の藪が倒されたせいでこのように見る事ができました。
これは少し引いてちょっと見上げつつ、国道も一緒に撮影したもの。
奥に見えるガードレールの所が国道473号。
国道側から見たときに気付いてましたが、
かなり高さに差があります。
この旧橋を渡った後の接続道(おそらく川根街道)は、
現在の国道に比べて低かったようです。
第1橋脚側から、対岸(瀬沢地区側)の眺め。
写っているのが
第2橋脚であり、この2つを結んだ直線の先は、対岸のちょうど石垣が切れたあたりになりそうです。
ここからパッと見た限りでは、なんの形跡もないようですが…。
と言うか、この2つの橋脚の間隔(目測5〜6mくらい?)がこの旧橋の標準径間だとすれば、
あと4本くらいは橋脚が必要なはず。
聞いた話では「ここに架かっていた橋は
木橋だった」との事なので、それほど長いスパンではなかったはずなのです。
しかし橋脚の跡らしきものは、どこにも見当たりません。
「架橋されてから今日まで境川の激流に洗われ続けて跡形もなく…」とはいささか考えにくい。
おそらくこの橋がお役御免となった時に、流木等が絡まって水がつかえるのを防ぐため、
意図して排除されたのだろうと考えます。
ともかく、対岸に渡って瀬沢側への連絡道を確認しましょう。
Click!
これが、
境川左岸側(瀬沢地区側)から見た旧橋脚です。
先に第一橋脚を観察した時に書いたように、やはり現在の国道がある土手の中腹あたりに 突き刺さるような高さだったと想像します。
次に、上の撮影場所からやや後方にある石垣の上に登ってみます。
橋をそのまま延長してきた地点は御覧の通り、
僅かに平場になっています。
しかし特に目立った何かがあるわけでもなく、橋との関係があるのかどうかも不明。
そしてこの平場から橋脚のほうを見てみると、この状態。
先に指摘していたように足元の岸辺方に石垣が見えますが、これはぐるりと弧を描いた後に下流方向へ延びています。
Click!
少し下流側に廻り込むと御覧の通り。
朽ちかけた蛇篭と、先ほどの写真から続いてきた石垣が見えます。
かなり古びていますが、よく見ると
割石を谷積みして造られているようですね。
この石垣の具合から見ると
旧橋と同世代である印象も受けるわけですが、断定はできません…。
ちなみに、写真の上の方に写っている四角い箱は、蜂様のお宅です。
では、先ほどの平場に戻ります。
わずかに踏み跡が
あるようなないような。
正直
「これがかつての街道跡です!」とは言い切れず…。
途中には、ちょっと古い時代の
コンクリートブロックがありました。
で、「一応それっぽいかな〜」と思える地形を追っていくと、畑への取り付けコンクリート道路にぶつかって消えていくような流れがありますが…。
残念ながら、道筋はハッキリしませんでした。
ここで一度、情報を整理してみます。
測量をしたわけではないので、正確ではありませんが…。
これを踏まえて、今回の調査の発端になった最初の古地図を見返してみます。
Click!
『千頭』五万分一地形図より
クリック後の
緑線が、現在の5代目境川橋があると思われる場所で、
濃い青線が境川です。
そしてほとんどのWEB版地図には載っていないのですが、
水色線のラインに沿って小さな沢があります。
この沢については第3話でも少し触れますが、橋の位置はこの沢との合流点よりも境川の上流側に描かれています。
場所的には、
今回確認した旧橋脚に架かっていた橋こそ、この古地図に描かれている“往還橋”なのではないかと思います。
この古地図は『明治41年(1908)測量、昭和8年(1933)要部修正』となっており、精度については微妙ではありますが…。
とりあえず上述の年代予想(昭和初期の施工?)に現時点での矛盾はない…ようで一安心です。
次に、前話で参考にした
【川根本町の古道】掲載の地図を思い出してみます。
橋の位置やそこへ至る道などを比較すると、
瀬澤・平谷地区付属の地図(右側)によく似ているように思います。
そして
「下流から上流へ」という記述をそのまま信じるならば、左側の地図はこの地図に描かれた橋の
先代の橋の事かもしれません。
(ただ、年数を考えると著者が先代の橋を直接目にしているかどうか難しいところ。伝聞を図にした可能性もあるし、あるいは単純に描き方がラフだった、という可能性もあります。)
いずれにせよ、現在では
境川右岸は自動車道に、
左岸は茶畑&護岸工事が施されているため、古い年代の橋の跡を追う事は不可能そうです。
もしかしたら川底に木製橋脚の跡が残っている可能性もありますが…。
さて次の第3話では、境川を遡って
現在の境川橋の裏側と、さらに上流の様子を確認しに行きたいと思います。
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