国道473の急カーブ橋
境川橋
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第4話 橋は架かっていたのだ。
前話からの続き。
5代目境川橋の裏側を見ていきますよ。
これが
5代目境川橋の裏側です!
と、残念ながら工事の足場が組まれていて少々見えづらいのですが…。
前話で確認した通り、
主桁が直線状に渡っているのが分かります。
さらにその上だけが円弧状になっているわけですね。
右岸側橋台。
接続する道路は玉石練積の石垣で造られています。
どこもかなりの年代物に見えますが、4代目の橋台と5代目の橋台の間を埋めるような姿で施工されているのが分かります。
さて、上流へと遡って架け替えられてきた橋がこの5代目で最後ならば ここより奥には何もないはず。
どんな様子なのか確認のためにも少し歩いてみました。
これが左岸側。
なんとなく通れそうな道筋が見えるでしょうか?
沢沿いに歩いて行ける、作業路的な踏み跡が一応続いていました。
これは右岸側。
ほぼ崖。
歩道らしきものは全く見えません。
少し下流側に山の方へ登っていく道があるので、高巻きするような形で作業道があるのかもしれません。
さらに奥へ。
とても良い感じです…。
正面に平場のようなものが見えるので、あそこまでは行ってみましょう。
とはいえ1kmほど上流には
境川ダムがあるので、急な増水には注意が必要ですね。
どうにもブレブレで申し訳ない。
山から下ってきた徒歩道(獣道?)と合流するような形で、平らな面が上流へ向かっています。
対岸にも、山の仕事に使っていそうな小道が同様に上流へ向かっていました。
今回はここで引き返します。
Click!
戻る途中での一枚。
?代目往還橋と、4・5代目境川橋の奇跡のスリーショット。
もちろん、3橋が同時期に存在する事は無かったはずですが…。
興味を持たなければ一生知ることもなかった夢の競演は、この地域の歴史の一部を語ってくれています。
さらに下流へ戻って、これは三津間渡へ向かう道路。
何度かの土砂崩れによってずり落ちた道路の残骸が見えます。
急峻な崖にへばりつくように作られたこの道は現在でこそ舗装された自動車道ですが、かつては江戸時代以前から生活道が存在しました。
では最後に、
4代目境川橋の橋台の上を確認しに行きましょう。
Click!
国道473号上に戻ってきました。
ここで川の方に向き直ると、
往還橋橋脚の上部が見えるじゃあありませんか。
季節が冬に近づき周囲の植物の勢いが衰えたために、視線が通るようになったようです。
鉄筋がまだ残っているのが確認できますね。
で、もしかしたら
往還橋の右岸側橋台も残っているのでは?と考え、それと思われる場所を調査したのですが…。
この有様。
特に何かあるようにも見えず、深くは突っ込んでいきませんでしたが…。
もうちょっと近づけないものか…。
Click!
国道上を瀬沢方面に向かいます。
写真の右側へ急激に折れる形で、4代目橋の橋台が続いているはずです。
左側に目をやると、例の看板がありました。
Click!
驚きの古さ。
そう、もうお分かりですね。
あの
「右(左)方屈折あり」の看板。
あれは、
現行の5代目境川橋のためのものではなくて、先代の4代目境川橋時代のものである可能性が濃厚なのです。
表面の黄色い反射面部分は既にボロボロで、剥がれかけています。
位置的に見ても、やはり4代目橋の時代の物だと確信します。
入口まで来ましたが、ちょうどその部分だけガードレールが途切れています。
ここから入っていけそうです。
入ってすぐ目に飛び込んできたもの、
それはサイレン。
上流にある境川ダムの放水を知らせるもののようです。
なるほど確かに
土台は堅牢だし、流用するにはうってつけの場所ですね。
それにしても、この橋台上においても かなりの太さに育った杉の木が。
5代目橋の竣工が昭和35年(1960)なので、この4代目橋は同時期に廃棄になったはず。
やっぱ
杉ってスゲェ。
先端まで行ってみました。
橋脚土台と、対岸の橋台。
さすがに…
高い。
そうそう、橋桁を乗せる段差部分についても確認しなければ。
Click!
近づいてみると、このような
段になっていることが分かります。
桁を固定するための丸型鉄筋が数本残っていましたが、どれも先端部にはネジが切ってあります。
これが普通なのか…な?
ところで、こうやって上から見下ろして ようやく気付いたのですが…。
Click!
コンクリート片だらけ。
この谷底からは回収不能と判断されたのか、おそらく4代目橋の残骸なのだろうと思います。
しかし一体どんな壊れ方をしたんでしょうか、4代目橋は…。
振り返って、
国道方向を見た写真。
土と杉の葉が積もっていて分かりづらいですが、
幅が狭い。
2mちょっと位でしょうか。
自動車のすれ違いなど、
無理。
対向車が来ていない事を確認してから渡り始める、
交互通行だったという事ですね。
5代目橋の上から見た、
右岸側旧橋台と橋脚土台跡。
かなりの
末広がりっぷりですね。
これほど角度が広がっているのは、ちょっと珍しいような気がします。
こちらは
左岸側旧橋台。
…ほとんど見えませんね。
この後 橋台上にも行きましたが、資材やらゴミやらなんやらが大量に散在していて大した写真は撮れませんでした。
そんなわけで、周辺地図を整理してみましょう。
やっぱり現場って面白いな。
想像を軽々と超えてきますよ。
年代的な情報はほとんど判明していないという、情けない結果にはなりましたけど…。
さてさて現地調査からの帰還後、
4代目橋時代の地図か写真がないかと探したわけですが。
Click!
国土地理院 航空写真より
いやはやこりゃ凄い。
屈折してるなぁ。
しかもよ〜っく目を凝らしてみると、
“往還橋”のルートにも何かそれっぽいスジがないですか?
って、言い出せばキリがないですけど。
これは
昭和22年(1947)9月に米軍が撮影した航空写真。
撮影年から、
4代目橋だと推定されます。
(ちなみに昭和21年(1946)撮影の写真にも橋が写っていましたが、不鮮明だったためこの写真で説明しています。)
第3話冒頭に書きましたが、
境川ダム(堰堤)が出来た事で『河内川』→『境川』と呼ばれるようになったとのこと。
境川ダムの竣工が
昭和18年(1943)なので、4代目橋は当初から“往還橋”ではなく
“境川橋”という名前だったのではないでしょうか。
どうにかして3代目橋(往還橋?)の廃橋年や、4代目橋の竣工年を知りたいところです。
とまあこんな感じで、記念すべき第10件目の物件紹介は如何だったでしょうか?
いつもの事ではありますが、まさかこんなに長々としたレポートになるとは…。
とはいえ結局のところ ほとんど分からず仕舞いな事には違いないので、現在も情報の募集は継続中です。
この橋についての情報、地図、写真などをお持ちの方がいらっしゃいましたら、ご一報くださいませ。
名所File No.10
境川橋(往還橋)
営業時間:年中無休
所在地:静岡県榛原郡川根本町
交通アクセス:川根本町町営バス 三津間戸停留所より 徒歩1分