国道473の急カーブ橋
境川橋
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第3話 その橋は古名を往還橋と言う。
まず最初に、改めて
【続 瀬沢と平谷の昔話 境川のはなし】(瀬平昔語編集会・平成8年発行)を読み返してみました。
こちらの本は、
川根本町役場本庁舎横にある山村開発センター1階の図書室で閲覧可能です。
と、いきなり冒頭にこんな事が書かれていました。
「河内川を断ち切ったダムに境川堰堤と言う名が付けられたため、河内川は自然、境川と言われる様になった。」(続 瀬沢と平谷の昔話 境川のはなし より)
そしてさらにもう一つ。
「下長尾と久野脇区との境界を流れる川であるから、元々境川と言う名があったものと思うが、土地の者はそんな名があったとは知らず河内川とのみ呼び、近隣の人達は皆、瀬沢河内と呼んで親しんできた川であった。」(続 瀬沢と平谷の昔話 境川のはなし より)
何という見落とし…。
知りたかった事
(河内川が境川に変わった経緯)がしっかりと書かれていました。
これは
“往還橋”が“境川橋”に切り替わった時期と関係あるかもしれません。
ちなみに文中に
「下長尾と久野脇区〜略」と書かれていますが、住所の上では瀬沢地区は“下長尾”、三津間地区は“久野脇”に所属しています。
ちなみに本の後半には
『瀬沢の塚之山と杭田圃』という項目もありましたが、田んぼがあった当時の情景を描写した内容になっており、
“杭田圃”そのものの説明はありませんでした。
とまあ一応再読できたことで結果オーライなのですが、ずいぶんな遠回りをした気がします。
さて、本題に戻りましょう。
今回は
『現行の境川橋を下から眺めてみよう』&『もう少し上流まで遡って、川沿いの徒歩道などがないかを調べてみよう』というお話なのです。
が、その前に少し、
寄り道してみます。
そのターゲットはこちら。
前話でも触れたとおり、各種WEBマップには ほぼ描かれてはいないのですが、ここには
小さな沢があります。
国道473号はこの沢を暗渠で超えており、10月の再訪の際に何となく近づいてみたら面白い事になっていたので、ここで紹介してみたいと思います。
ますはこれが入口。
何の変哲もないように見えますが、妙に気になったので近づいてみると…。
?!
何ですコレ?
入口こそ一般的な
ボックスカルバート構造ですが、少し入った中央部で突然、
釣り鐘型になっています。
さらに近づいてみましょう。
面白い!
しかし奇妙な事に 形状は確かに違っているのですが、何と言うか…正直
コンクリートの質感とか、見えている肌感がなんだか均一。
とにかく通り抜けてみます。
これが通り抜けた後に振り返っての一枚。
狭いため、これ以上引いて撮ることができませんでした…。
御覧の通り、
釣り鐘型なのは中央部だけ。
こちら側もボックスカルバートながら、左右に続く外壁部分はコンクリートで均されています。
そこから沢の形に沿って続いている石垣は、パッと見には割と最近の造りのようです。
釣り鐘型部分との境目に目をやると、入って来た側と違って
斜めに接合されているのが分かります。
想像になりますが、どうやらこれは、
中央の釣り鐘型をした範囲が 旧道の幅、ということのようです。
かつて道路の幅を2車線に広げる拡幅工事を行った際に、箱を旧暗渠の前後に繋いで延長したのではないでしょうか?
さらにその時、補強のためにコンクリートで表面を覆ったのでは?
これらの施工をした年代を知りたいところですが、銘板のようなものは一切見つかりませんでした。
こういった工事の概要(施工年とか)を調べるには、どうすればいいんでしょうかね…?
そういえばこのサイトのインスタ出張版に、
【#秘密の場所】とかで投稿した事があるんですが…。
大井川沿いの某所にあるこれ。
トンネルの向こう側は、滝でした。
この暗渠、そっくりな形をしてますねー。
同時期の施工なんでしょうか?
さて先ほどの暗渠ですが、出てすぐのところで
静岡県の用地杭を発見。
これは主に県の用地の境界線を示すものですが、道路脇にある場合は やはり県道であることを示すものでしょう。
となれば、国道昇格前の
旧静岡県道36号線時代のもの?
しかし道路脇ではないし、他には見当たらないしな…。
さてさて、本題へ。
現行の境川橋に下から近づいてみます。
これは向かう途中で右岸側(国道の方)を写したもの。
間知ブロックによる擁壁が、苔生した状態で連なっています。
この擁壁の上端は、前話で見てきた
“往還橋”の高さとほぼ同じなんですよねー。
まあさすがに関連性は無いと思いますが。
さてさて、近づいてきました境川橋。
この写真は7月撮影のものなので、足場等がなく橋の外観がよく見えるわけですが、この時の調査はここまででした。
ここから先の写真は10月に再訪した際のものになります。
と、言うわけでこれが10月の景色。
台風15号の影響でしょうか、河原には流木が溜まり、川面もかなり荒れている状態です。
Click!
左岸側に目をやると、丸石練積の石垣が見えます。
川の流れによるものか、削られてしまって分かりづらいですが 右端が僅かに曲がってR状になっています。
地図に書き足すと、こんなイメージ。
ちょうど往還橋が接岸する地点で石垣が切れているのであればこれは…とも思いましたが、どうにもズレていますね。
…さて。
先ほどの写真に戻りますが、見えましたか?
クリック後の黄色矢印部分。
ここに
7月には見えなかった物が見えているのですが…。
えー…、これマジですか…?
これは間違いなく、
【 橋脚基礎 】
だよね、これ?
ここに これがある、ということは…。
あるわー…。
右岸側旧橋台。
つまり、その反対側には…。
こっちにも何かあるわー…。
左岸側旧橋台。
この橋台の高さや 橋へ通じる道筋などの状況から察するに、これは
現行の境川橋の一つ前の世代の橋跡のようです。
つまり、
4代目境川橋の遺構。
国道473号は何度も通っていますが、これには
全然気づきませんでした…。
どうやら周辺が完全に樹木に覆われているため、車で通過する時の一瞬では分かり様もない、といったところでしょう。
まずは
中央の橋脚土台跡から見ていきましょうか。
読んで字の如く、橋脚の土台。
この上に橋脚が立っていたわけですね。
川のほぼ中央にこの一基だけがあるということは、
4代目境川橋は2径間の橋だったようです。
上から見下ろすような視点で。
最外周は長細い六角形で中央に楕円形の凸部があり、これがそのまま橋脚の形だったのかなと思ったのですが…。
よく見ると何本も穴が開いており、鉄筋か何かの
補強のための芯材が入っていたのでは?と考えると、六角形台座に開いた穴は何なのでしょうかね?
なんとか現役時代の写真が見たいもんですねぇ。
そして
右岸側橋台へ。
恐ろしいまでの
威圧感。
正面から見ると、台形。
ハの字になっています。
高さは5代目橋とほぼ同じですね。
予想では4代目橋は
鉄筋コンクリート造の床版(スラブ)を使用した単純な橋だったと思っていますが、ここからでは
床版を乗せるための段が確認できません。
後で上に行って、色々と確認する必要があります。
それにしても、橋台前に生えている杉の木の立派な事。
当然、廃橋後に成長したものだとは思いますが…
杉ってスゲェ。
Click!
次は
左岸側旧橋台。
もはや神殿か何かの遺跡にすら見えてきます。
下の方は水に削られたか、コンクリートが無くなっていますね。
それを支えるように、持ち上げるようにして生えている木は
何の木でしょうか?
あの木がなければ、もっと崩壊が進んでいたかもしれません。
よく見ると、右岸側旧橋台にはなかった
“凸形状の補強のような物”が確認できますが…。
残念ながら、施工当時の状態を想像する事は難しい有様となっています。
ちなみに現在、この上にある物は…
仮設トイレですね。
橋の補修工事を行っている作業員のための重要な設備です。
ここでまた、周辺地図を整理してみます。
こんな感じ。
取付道路に対して急な角度で進入している、と言うよりは、5代目橋に架け替えした際に
ゆるやかになるように道筋も変更された、と言うべきなのかな?
詳しい事は、後ほど検証したいと思います。
と、意外な発見に興奮冷めやらぬ状態ではありますが、今回は想定よりも長くなってしまったので 続きは次回への持ち越しとします。
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