東西を結んだ交易路

下泉橋

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第1話 第2話 第3話
追記編:第4話
再調査編:第5話



第3話 やっぱり現場だよね。

さて、第3話はいよいよ現地調査編です!

とは言ったものの…。

FileNo.4で紹介した旧昭和橋や上流にある旧万世橋などは 今でも巨大な主塔がすぐ見える場所に残っているわけですが、この下泉橋においては それがありません。
理由は単純で、現行橋が同じ場所に架けられたからです。
その場合 架け替え工事期間中は不便を強いられたはずですが、どのような流れで工事が進められたのかは分かっていません。

何にせよ、少しでも当時モノが見つかれば嬉しいのですが。



それではさっそく、下泉側から調査してみましょう。

下泉橋

こちらが現在の下泉橋。
まずは基本的なポイントを押さえていきます。

下泉橋

最初に本橋向かって左側の親柱。

黄色の反射板に取り囲まれるようにして、橋名板が設置されています。

【しもいずみはし】

ずっと「しもいずみ“ばし”と読んでいましたが…。
これが正式な読み方なのか、慣例(川が濁らないように)として こう彫られているだけなんでしょうか?
また漢字ではなくひらがな表記なので、こちらが出口側という事のようです。
どう考えても対岸よりは日本橋に近いような気もしますが、それほど厳密な決まり事ではないらしいし、何か他の理由があるのでしょう。


下泉橋

次は向かって右側の親柱です。

最初の写真では見切れてしまいましたが、こちらにもしっかりと橋名板は取り付けられています。

【昭和三十六年一月竣功】

事前調査の通りですね。
ツタが元気に伸びている場所なので、こんなにしっかりと見た事がある人も少ないのでは?


次は側道橋に移りますが、これは向かって左側(下流側)に横並びにして取り付けられていました。

下泉橋

【しもいずみはしそくうきょう】

[ど] の大きさに拘りを感じる一品となっています。

下泉橋

【昭和54年7月完成】

ここは “竣功” ではなく “完成” となっていますが、何か違いがあるんでしょうか?

なんにせよ、年号に間違いがない事が確認できました。



それでは、下に降りてみましょう。

下泉橋

前話でも少し触れましたが、側道橋は橋脚を共用して架けられています。
写真でわかるように、下流側に張り出したややアンバランスに見える状態となっております。

ところで。

ところで、ですよ。

ずっと昔から気になってたんです。
この、下泉側から1つ目の土台部分。

ここだけが、異常にデカいんですよね。

下泉橋
GoogleMap 衛星写真より

はるか上空から見ても分かるレベル。
橋から大きくはみ出してます。

この土台部分、もしかして、ですけど。

位置的に見て、初代下泉橋の土台部分を流用した可能性はないですかね?

初代下泉橋 Click!
「図説 中川根の歴史」(平成14年 中川根町史編さん委員会 発行)より

当時の写真を見ると、一番下部分はアーチ状になっているようです。

下泉橋

対して現行橋の橋脚は何段かに積み重ねられたようになっており、一番下の層を見ても…何とも判断つきかねます。
そもそも、もし土台部分が残っていたなら、前話で紹介してきた2代目橋時代の写真に写りこんでいても良さそうなもんですけどね…。
どこにも見当たらないし…、やっぱり妄想が過ぎるでしょうか?

それでも、一番下のコンクリート塊がそうであった説、を私は支持したい!

さて気を取り直して。

下泉橋

これが現行橋の下泉下流側。
ここから右手(下流側)に向かって護岸工事がしっかりと成されており、当時の物は何も残っていないようです。

下泉橋

橋を潜って上流側へ向かいます。
この辺りは、増水時でもない限りは歩いて通ることは容易です。

下泉橋

こちら側はガラリと様相が変わって、うっそうとした状態。
苔生したコンクリート製の古い法面や 玉石を練積みした石垣で構成されており、高い部分には本来の岩肌も見えています。

下泉橋

石垣と言うか、石張り?の護岸が正しいのか。
かなり年季が入っています。

この物件の調査を始めた時点で、遺構が残っているとすればこのポイントしかない、と目星はつけていました。

初代下泉橋 Click!
提供写真より

そう、狙うのは 下泉側上流部の耐風索アンカレイジ跡!

当時とあまり変わっていないだろうと思える場所が、唯一ここだけなのです。
現場の雰囲気を見るかぎりでは、かなり期待が持てそう。

下泉橋

足元は岩場や砂利、石垣、護岸ブロックなど様々な物が組み合わっていますが、歩きやすい部類。
岸側は 季節柄 草が茂っており、蜘蛛の巣を処理しながらの前進となるのは仕方のないところ。
何にせよ、ほとんど人が通る事はないようです。

橋を潜ってから10mも来たでしょうか。
そこら中の写真を撮ったり、水の中を覗き込んで魚を探したりと、すっかり楽しんでいましたが目的は忘れていません。
位置的にもそろそろ予想ポイントのはず。

と言うか…実はね、もう既に上の写真に写ってるんですよ、アレが。
気づきました?

そう、茂った植物のせいで見えづらいのですが、目の前にはドーンコンクリートの塊
その正体とは?!

下泉橋

ホントにあったんかい。

下泉側耐風索アンカレイジ跡!!

近づくまで ただのコンクリート壁かと思ってましたが、遺構である証拠がしっかりと残っていました。

下泉橋 Click!

ワイヤーの根本が!

いやはや、こんな形で残っているとは。
上に3本、下に4本の計7本が確認できます。

気になるのは、これが初代橋のものなのか2代目橋のものなのか、又はその両方なのかということ。
当時のここをピンポイントに写した写真がないので、検証が出来ないのがもどかしい。

下泉橋 Click!

この2代目橋と思われる写真を見る限りでは、5本のワイヤーを束ねて耐風索としているのがわかりますが…。

下泉橋

これがワイヤーの向かっていたであろう方向を見た状態。
なんとなく当時の情景が浮かぶような…そうでもないような。

下泉橋

それにしても、なかなかの威圧感。
当分の間は壊れたり流されたり、という事はなさそうで一安心です。



想像通りの発見ができたことで 既に満足しつつありますが、まだまだ終われません。

お次は下長尾側の調査に向かいます。

下泉橋

これが下長尾側から見た下泉橋。
こちらも、橋名板のチェックから入りましょう。

またも見切れていますが、左側の親柱から。

下泉橋

【下泉橋】

漢字表記であることから、こちら側が入口で間違いないようです。
第2話で開通して間もない頃の写真を紹介しましたが、おそらくこの銘板はその時と同じもの。
60年前からずっとここにあるんですねぇ。

下泉橋

【昭和三十六年一月竣功】

下泉側と同じ表記です。

下泉橋

【下泉側道橋】

これは側道橋の橋名板。
こちらも漢字表記ですね。

気になるのは、“下泉”と“側道橋”で、橋の漢字を使い分けている点。
閲覧環境によって正確に表示されない端末があるので強引に見せていますが、“”という字は“橋”の異体字とのこと。
単純に本橋の方が架けられた年代が古いから使い分けているのかと思いましたが、本橋の橋名板は“下泉”となっており、何が何やら。

下泉橋

【昭和54年7月完成】

下泉側と同じく、横並びに設置されています。



河原に降りて、橋の周囲を調査してみます。

下泉橋

これが下長尾側下流方面の様子。
対岸同様、ここから写真左手(下流方向)に向かって護岸工事が成されており、古い時代のものは見当たりませんね。

下泉橋

川の流れが無いので歩き放題なのですが、とにかくこれが下長尾側上流方面の様子。
何かがありそうに見えはするものの、特に何もなく…。

下泉橋

それでも 何かないものかと 歩き回りますが、やはり特に何もなく…。

とはいえ、これで終わりにはできません。
そう、もう一つの狙いはこれ。

2代目下泉橋 Click!
提供写真より

2代目橋の中央塔の土台部分!

これだけ堅牢な作りの土台であれば、もしかしてまだ残っているのでは?と思うのです。

下泉橋

というわけで、橋の中央部あたりを目指して進みます。
…ご覧のとおりの 河原砂漠。歩くのに苦労はしません。

下泉橋

橋脚の数を目安にして辿り着いた、橋の中間地点。
そこにあったのは…瓦礫の山…?!

下泉橋

あー、これもしかして…。

これ…ですかね?
目的のモノは。

下泉橋 Click!

角度を変えての一枚。
いくつかのブロックこそ ただの消波ブロックのようですが、拡大した2つの塊は明らかに別物。
原型を留めていないので外見からの検証は難しいわけですが、位置的にはここで間違いないはず。
しかしバラけて落ちている(地中に埋まっていない)ようなので、土台の一部、でもないらしい。
というわけで、状況的に見てこれが2代目橋の中央主塔の一部、だろうと考えます。
ちょっとあっけない発見ですが。

それにしても、この撮影時、川を渡れるような装備でなかったのが悔しい。
機会があれば再訪して、もうちょっと詳しく調べてみたいですね。

といったところで、現地調査は以上となります。
お疲れ様でした。



いやはや、本当は写真の紹介だけで終わ…

ってな感じでエンディングに突入するのがいつもの流れですが、

ちょっと待って頂きたい。

もう一枚、凄い写真が残っています!

実はこの第3話の現地調査は、サイトの本文を書き始める前、つまり文献調べや写真の精査を行う前に行ってまして。
とにかく周辺の写真をいっぱい撮って、後で見返しつつまとめればいいか、というスタンスだったわけです。

なのでこれから紹介する写真は、“何だかわからないけど、とりあえず撮っておいた” 1枚になります。

その衝撃的な写真というのが、こちら!

下泉橋

もうね、写真整理の途中で気づいて震えましたよ。

このデザイン、見覚えありますよね?

これ、初代下泉橋の袂にあった街灯の土台部分じゃあないですか?!

下泉橋の街灯
提供写真より

直方体ブロックで4面の中央が凹んでおり、そこに特徴的な丸長のスリットが3本。
ブロック上面は中央に向かって斜めになっていて。
中身は砂利を含んだコンクリート塊で、周りはモルタルによる化粧が施されている、と。

もうこれ、間違いないでしょ!?

場所は下長尾側。橋から上流に向かって20mほどの地点。
消波ブロックに引っかかるようにして、砂利に埋もれた状態でした。
どう見えるかは川の流れによって変わるので、ここで発見できたのは幸運な事なのかもしれません。

撮影時はこれが何か分からず、何か意匠的な物があるなあ、ぐらいの感覚で写真に収めたわけですが…。
これが本当に初代下泉橋の頃からあった街灯土台部分であるなら、ざっと90年前のシロモノですよ。

しかし何でこんなところに?
元の位置から結構離れているだけでなく、上流方向にあるって…。

このまま放っておけば、どんどん削れていって いつかはただのコンクリート塊になるのでしょう。
これを掘り起こして 保存・展示、っていうのが良い事なのかどうか、自分には分かりかねますが…。
この下泉・下長尾地区の歴史と共に生きてきた遺産であることは、間違いないと断言できますよ。

あ、本物であれば、ですけどね。



いやはや、本当は写真の紹介だけで終わる予定だったのですが、さすがは大井川に架かる橋。
一朝一夕には済ませてくれませんねぇ。
とにかく、現場に足を運ぶのは大事なんだな、と思いました。
間違っている部分や検証が足りない部分が多々あるのも承知しておりますが、この記事がデジタルデータとして後世に残り、どこかの誰かに繋がれば面白いなあと思いつつ…。



名所File No.09

下泉橋

営業時間:年中無休
所在地:静岡県榛原郡川根本町下泉
交通アクセス:大井川鐵道 下泉駅より 徒歩5分






調査完了。







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*本文内で“提供写真”としているものは、下長尾在住のS氏からご提供頂きました。ありがとうございます!