東西を結んだ交易路

下泉橋

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第1話 第2話 第3話
追記編:第4話
再調査編:第5話



第5話 は年をとっていた。

第3話終盤で触れた街頭土台部分について、再度 現地調査をしてきました。

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川の流れに洗われて、前回よりも露出している部分が増えました。

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まずは街灯の付け根/土台の上面から。
化粧のモルタルが剥がれた上面には、3本の錆びた金属片が確認できました。
この3本で街灯を固定していたのでしょうか?
このうち1本はパイプ状になっており、おそらくここを配線が通っていたのでは?

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こちらは土台側面に施された3本のスリット状の意匠部分。
写真で黒っぽく見えていた部分を拡大してみると、このように小粒な黒い石を集中させることで表現しているようです。
いやはや凝ってますねぇ。
1面につき3本のスリットがあり、それが4面あるわけで、どうやって作ったんでしょうかね。

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こちらが底面。
モルタルによる化粧は当然施されておりませんが、よく見ると大きめの石がいくつも埋まっているのがわかります。
土台としての重量が必要だったのか?材料の節約なのか?それとも技術的な理由なのか?

ところで、どうしても横に落ちている木箱に目が行くわけですが…。
当然、全く無関係の物です。
古い薬箱だったらしく、周囲にはその中身が散乱しておりまして。

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上流から流れてきたものなのか、誰かが捨てていったのでしょうか?
いずれも実際に販売されていた商品のようですが、どれもド直球なネーミングセンスなのに加え、マジで効きそうなパッケージデザインなのは何なのか。



さてさて、続けて中央塔の遺構(と思われるもの)を確認…と行きたかったのですが、川の流れにより接近する事ができず断念。
その代わり、と言うべきか。
下長尾岸から ほど近い位置に、前回には見られなかった何かの残骸があるのを発見。
これらは第3話での調査時には土砂の下にあり、全く気づきませんでした。

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写真奥には、先ほどまでウロウロしていた街灯土台部分が見えています。

この残骸、角度を変えてみるとこんな感じに。

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まあでかいこと。

太長い棒状のものが2本並んでいるようです。
ところどころ金属が露出しており、鉄筋コンクリートであることがわかります。

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しかしこの鉄筋、近寄ってよく見ると 現在 一般的に使われている表面がデコボコした“異形鉄筋”ではなく、凹凸のない“丸鋼”を使用しているのが分かります。
鉄筋コンクリートに使用される補強材として 古くは丸鋼が主流でしたが、異形鉄筋の方がコンクリートとの付着力が高いという理由から、昭和40年代には異形鉄筋にほぼ置き換わったようです。
つまりここに写っているモノは、それ以前の構造物。

となればこれは、【2代目下泉橋の下長尾側主塔】のものでは?
位置的に見ても、間違いないでしょう。

ではこれらの残骸は、主塔のどの部分だったのか?
そこで、第2話などで検証に使用した2代目橋の写真を、もう一度いくつか引っ張り出してみます。

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提供写真より

あの堅固な造りであったアルファベットの【A】に似た中央塔とは違って、こちらは【I】型とでも呼べばいいのか、板状であるようですね。
残骸が2本並んでいる事から考えても、両側の脚部分ではないかと。
そしてそれを裏付ける決定的なものがこの写真に。

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大部分が水中、土砂下に埋まっているため黄色の補足の線を加えてみました。
これは、2本の脚を繋ぐ中央の梁の部分ではないでしょうか?
写真中の赤丸部分に近づいてみましょう。

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完全に一体化していますね。
とすればこの残骸は…

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おおよそこの部分で間違いないでしょう!
いったい、どんな倒れ方をしたんでしょうかね?



ここで一度、これまで発見した遺構の位置関係についてまとめてみます。

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1から8まで番号を振ってあるのは、現在の橋脚です。
9径間のPC単純桁橋である事から、径間長はおおよそ30m。
このうち橙色の線は橋脚を、赤色の線は土台を示しています。
第1橋脚の土台が異様に大きいのは第3話で触れたとおりですが、実は第7橋脚の土台も少し大きかったりします。

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これがそのまま初代橋の土台を流用したものだったなら盛り上がる(?)のかもしれませんが、さすがにそれは考えにくい。
他の土台と比べてもコンクリートの質感に差がないように見えるし、何より古すぎるし、形状も…。

あとは、やっぱり気になるのは第1橋脚の土台の素性ですね。

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いつか答えを見つける事ができるんでしょうか?



いやはや、やっぱり現場はいいですねぇ。
そんなわけで今回の現地調査編、いかがだったでしょうか……?


と、こんな感じでエンディングに突入するのがいつもの流れですが、


今回は、ここからが本番。

現地では気にも留めなかったのですが、今回この記事をまとめている途中である事に気が付きました。

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この写真に写っている、違和感。

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分かりますか?


……あれ。


……あれ…?


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……何これ?

L型鉄筋も補強材として使われているんですけど?
いやもう何か、そこらへんにある金属をとにかくぶち込んだのでは?という印象。

…じゃなくて。

違和感の正体は、そこじゃない!

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コンクリートが2層になってませんかこれ?!

どういう理由か上流側の脚だけですが、丸鋼を使用した鉄筋コンクリートのさらに上から、L型鋼を補強材にしてコーティングしている!?

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隣に倒れたもう一本の塊には同様の補強の様子は見てとれませんが、周囲にはL型鉄筋を用いたコンクリートが散在しています。
それに何より、明らかに太さが違う。
これは内部の丸鋼鉄筋が6本入っていることからも証明されます。

これはつまり、後年の補強跡?

となると前話までの検証でずっと気になっていた、
「2代目橋下長尾側主塔は、初代橋のものを再利用していたのでは?」という仮説。
これが一気に現実味を帯びてきました。

そもそもなぜ、そんな予想を立てたのか?
“初代橋に類似”というのがどの辺りを指しているのか?

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これは主に 左右の脚を繋ぐ梁の形が、2代目中央塔よりも初代橋主塔の特徴に近いように感じたからです。
ただ、上の写真を見ての通りピッタリ同じというわけでもなかったので『可能性がある』という表現に留めてきたわけで。

しかし!この現物が何よりの証拠。
つまりはこういう具合に!


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初代橋の左右の脚と最上部を、鉄筋コンクリートで補強!

これが正解であるならば、不自然なつながり方に見えたあの梁部分もピッタリ一致してきますよ。

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2代目下泉橋の下長尾側主塔(昭和24年(1949)製)は、初代下泉橋の主塔(昭和7年(1932)製)を補強して再利用していた!

そして戦前〜戦後にかけて東西をつないでいた橋のその遺構が、今もなお この大井川に人知れず横たわっているという事実…!

机上での仮説がこうやって現場で裏付けされるとは、あまりに出来すぎじゃあないですか…。



では、さらなる追求として、この補強はいつ成されたのか?
これは2代目橋架設時か、災害からの復旧時のどちらかであるはず。

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「大井川の周辺と農村の移り変わり」より

前話で取り上げたこの写真をよく見ると、左右の脚部分と梁の部分において厚みに差があるのが分かります。
つまり、既に補強済みの状態であると。
また注釈に昭和30年(1955)頃と書かれていることから、これは被災前の写真。
となれば、2代目橋の架設時には既に補強が済んでいた事になりますね。

それから、幅員(橋の幅)について。
調査開始当初は2代目橋は全て新造だと考えていたので「初代橋よりも幅員を増やしたはず」と何の根拠も無く勝手に思い込んでいましたが…。
このように初代主塔を補強して再利用していたのならば、初代橋と同じそれよりも(補強の厚み分)狭い幅員だった事になりますね。
このあたりの資料はまだ見つかっていないので、気になります。

ちなみに下泉側の主塔はどうだったのか?
これは第2話でも検証したように、初代橋と2代目橋とで主塔の位置が完全に違っているため、このように補強しての再利用は無かったはずです。

さて、ここまで繰り返し“補強”という表現を使ってはいましたが、これは果たして本当に強度アップにつながっているのか?
上の写真で見たように、一目でそれとわかる層の境目が出来ていたり、下流側脚などは完全に剥離してその周囲に別体として散乱している有様。

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少し調べてみると、既設鉄筋コンクリート柱の耐震補強技術として外周をぐるりと覆う工法は一般的にあるようですが、それは帯鉄筋(水平方向の鉄筋で、既設柱の外周にぐるりと巻き付けるイメージ)をキッチリと、適切な本数入れてこそ効果があるというもの。
しかしどの写真を見ても、水平方向の鉄筋が何本も入っているようには見えないんですよね…。

どういった流れでこの工法を採ることになったのか?
また、どのような理由から“再利用案”が採用されたのか?
このあたり、果たして資料が残っているんでしょうか…。



とまあ、こんな感じで下長尾側主塔の歴史が垣間見えた再調査編、如何だったでしょうか?
今回もまた、現物の持っている説得力の凄さを見せつけられた結果となりました。
あとは架設にまつわる紙媒体での詳しい資料が見つかったら、完璧なのですけどねぇ。
まだまだ解明されていない謎がいくつか残っているので…

調査続行!






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*本文内で“提供写真”としているものは、下長尾在住のS氏からご提供頂きました。ありがとうございます!


この一連の稚拙な未完調査レポートを、我が母校 中川根南部小学校に捧げる