村を繋いだ長大吊橋

中徳橋

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第2話 そもそものはじまりは吊り橋だった。


さあ、やって参りました。

中徳橋

【中徳橋】

これは上長尾側(西岸)から田野口側(東岸)を見た状態。
今回は橋を渡って、田野口側から攻めてみたいと思います。

中徳橋

というわけで、田野口側の袂へ。
下泉側(南側)から撮影。
写真には写っていませんが、左手の一段下がった所を大井川鐵道の線路が通っています。
正面に見える集落が田野口地区
左へ曲がれば中徳橋を渡って上長尾地区へ行けます。

中徳橋

左を向いて、上長尾地区の遠景。
橋脚の白い部分は、何度かの補修を受けている部分でしょう。

中徳橋 Click!

もっと橋に近づいた位置から。
下に大井川鐵道の線路が見えます。
いくつかの橋脚台座の周りが洗堀されて 浮いているように見えるわけですが、どのくらいの深さまで基礎が埋まっているのでしょうか。

それと、手前から2番目の橋脚は台座と脚がズレてますけど…。

中徳橋

上の写真は下泉橋のもの。
ここでも同じ現象を確認しているんですが、何がどうなると こうなるんでしょうか?

中徳橋

橋の袂で見つけたのがこの表示板。
【町道上長尾田野口停車場線】
路線番号は1、距離は348.4mとなっています。
【川根本町】マークはシールで修正している事から、旧中川根町時代から変更が無い、という事なのでしょう。
この表示板は、もちろん上長尾側にもあります。

では、橋名板のチェックを。

中徳橋

こちらは下流側のもの。

【ちゅうとくはし】

平仮名なので、こちら側が橋の出口、という事ですね。

中徳橋

そして上流側。
こちらには何と、河川名が刻まれていました。

河川名 大井川】

ちょいちょい見かける事のある河川名表記ですが、大井川筋の橋ではわりと珍しい気がします。
これまで調査した他の橋では、ここと ここの対角にあたる銘板に刻まれていたのは竣工日でした。

中徳橋

こちらが上流側の景色。
本日は快晴であります。

中徳橋

下流側の景色。
このアングルで撮られた写真をご覧になった方は多いはず。
ここは有名な撮影スポットなのです。
そうそう大井川鐡道沿線では、現在でも普通に木製の架線柱を見る事ができますよ。

中徳橋

上長尾側を向いて。
上長尾集落と、正面右奥に聳えるのが白羽山ですね。

中徳橋 Click!

さて、無視できないほど近づいてきたので 先に書いてしまいますが…。
この右手(上流側)に見える堤。
こちらが初代中徳橋(吊橋)の橋台跡になります。

まあ、後で存分に堪能しますのでね。
その前に、上長尾側の橋名板を確認しておきましょう。

中徳橋

こちらは上流側。

【中徳橋】

こちら側が橋の起点です。

中徳橋

下流側。

【竣功昭和50年10月31日】

第1話でまとめたように、これは2代目橋の上部工拡幅工事が完成した日になります。
【2代目中徳橋・改】誕生の日、というわけです。



長くなってしまったので、今回はここまで。

次回はいよいよ、初代中徳橋 橋台跡に突撃です。


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