村を繋いだ長大吊橋

中徳橋

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第3話 あなたは、橋台の上に住んでいる。


さてさて、それでは例のアレに迫りましょうか。

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【初代中徳橋 上長尾側橋台跡】
大きいサイズはこちらから。

でかい。

現在では、この橋台の上に乗っているのは急な増水を知らせるサイレン。
古い橋台跡にサイレンを設置するパターンは旧境川橋 橋台跡でも見ました。
それから、何らかの電波塔。
これはおそらく川の水量などを監視するための装置だと思います。
取り付けられている機器の中にはカメラも。
これはライブカメラ(静岡県土木総合防災情報SIPOS-RADAR河川監視カメラ)で、誰でも見る事ができます。

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逆行で良く見えませんが、とりあえず橋台の麓までやってきました。
この道をかつての住人達が往来したのでしょう。

もう少し近づいてみます。

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まずは手前の設備がお出迎え。
と言っても、何の装置なのかさっぱり分かりませんが。

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【No.22 大井川(発)系 警報中継局(上長尾)】

箱にある【JRC】のロゴは、大正4年創立の【日本無線株式会社】公式HPのもの。
どうやら、サイレン関連の装置らしい。

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お次は先端側にある装置。
やはりこれは、水位の観測装置のようです。

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そのまま橋台の先端まで歩いてきました。
時間が悪く、対岸の様子はまったく分からないわけですが。

いやはやそれにしても…

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高ぇ…!

落ちたら即死、とまでは言わないが かなりの高さ。
ってまあ、こんな写真じゃ伝わらないですよねー。

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橋台の“横方向”の眺め。
メジャー計測では幅6m位でした。

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下流側の“角”
なかなか貴重な体験をしているような、そうでもないような…。

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さてさて、戻りながら主塔の跡でも残ってないかなーと探して回りますが…。

無い。

足元の巨大な堤以外、何も見つける事はできませんでした。

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こちらが、橋台跡から上長尾方面を見た状態。
途中から個人の敷地になっているようですが、かつては この道が両岸を結ぶ主要道だったわけです。

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これが堤の下流側側面。
所々で崩れてはいますが、とてもよく当時の状態を保っています。

今度は、橋台跡を下から眺めてみましょう。

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うん。高い。

実は堤の上に立った時に 最近導入したレーザー測距器(激安品)で高さを測ってみたわけですが、安物のせいか測定値にバラつきが…。
一応、平均して5.5mといったところ。

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あれ、自分、今、ライブ中継されてる?
いやまあここなら写らないでしょう。

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ここでは石垣の様子をよく観察できます。
河原にある丸い石を積んでいく玉石積み
ごく一般的な工法です。

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上流側の角。
堤の基礎が見えていますが下側が徐々に抉れており、いつかは崩れてしまうのでしょう。
なお、この堤の下辺幅は10mほどでした。



さて、目立った遺構である上長尾側橋台跡は一通り見て回りました。
当時の痕跡は これ以外には何も残っていない、というのが正直なところ。
これにて「今回のレポは終了!」としても良いんですが…。

そんなの あまりにも寂しいじゃあないか。
当サイトとしては、もうちょっとだけ足掻いてみたい。


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