村を繋いだ長大吊橋
中徳橋
TOP
第1話
第2話
第3話
第4話
第5話
第3話 あなたは、橋台の上に住んでいる。
さてさて、それでは例のアレに迫りましょうか。
Click!
【初代中徳橋 上長尾側橋台跡】
大きいサイズはこちらから。
でかい。
現在では、この橋台の上に乗っているのは急な増水を知らせるサイレン。
古い橋台跡にサイレンを設置するパターンは
旧境川橋 橋台跡でも見ました。
それから、何らかの電波塔。
これはおそらく川の水量などを監視するための装置だと思います。
取り付けられている機器の中にはカメラも。
これは
ライブカメラ(静岡県土木総合防災情報SIPOS-RADAR河川監視カメラ)で、誰でも見る事ができます。
逆行で良く見えませんが、とりあえず橋台の麓までやってきました。
この道をかつての住人達が往来したのでしょう。
もう少し近づいてみます。
まずは手前の設備がお出迎え。
と言っても、何の装置なのかさっぱり分かりませんが。
Click!
【No.22 大井川(発)系 警報中継局(上長尾)】
箱にある
【JRC】のロゴは、大正4年創立の
【日本無線株式会社】公式HPのもの。
どうやら、サイレン関連の装置らしい。
Click!
お次は先端側にある装置。
やはりこれは、水位の観測装置のようです。
そのまま橋台の先端まで歩いてきました。
時間が悪く、対岸の様子はまったく分からないわけですが。
いやはやそれにしても…
高ぇ…!
落ちたら即死、とまでは言わないが かなりの高さ。
ってまあ、こんな写真じゃ伝わらないですよねー。
橋台の
“横方向”の眺め。
メジャー計測では幅6m位でした。
下流側の
“角”
なかなか貴重な体験をしているような、そうでもないような…。
さてさて、戻りながら
主塔の跡でも残ってないかなーと探して回りますが…。
無い。
足元の巨大な堤以外、何も見つける事はできませんでした。
こちらが、橋台跡から上長尾方面を見た状態。
途中から個人の敷地になっているようですが、かつては この道が両岸を結ぶ
主要道だったわけです。
これが堤の下流側側面。
所々で崩れてはいますが、とてもよく当時の状態を保っています。
今度は、橋台跡を下から眺めてみましょう。
うん。高い。
実は堤の上に立った時に 最近導入した
レーザー測距器(激安品)で高さを測ってみたわけですが、安物のせいか測定値にバラつきが…。
一応、平均して5.5mといったところ。
あれ、自分、今、
ライブ中継されてる?
いやまあここなら写らないでしょう。
ここでは石垣の様子をよく観察できます。
河原にある丸い石を積んでいく
玉石積み。
ごく一般的な工法です。
Click!
上流側の角。
堤の基礎が見えていますが下側が徐々に抉れており、いつかは崩れてしまうのでしょう。
なお、この堤の下辺幅は10mほどでした。
さて、目立った遺構である
上長尾側橋台跡は一通り見て回りました。
当時の痕跡は これ以外には何も残っていない、というのが正直なところ。
これにて
「今回のレポは終了!」としても良いんですが…。
そんなの あまりにも寂しいじゃあないか。
当サイトとしては、もうちょっとだけ足掻いてみたい。
第1話
第2話
第3話
第4話
第5話
TOP