大井川鐵道の始まり

駿府鉄道株式会社

第1話 第2話 第3話
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第1話 最初はそんな路線、誰も信じていなかった。


金谷〜千頭間が全通する直前、当初は東川根村藤川を終点とする予定であったものが上川根村千頭に変更された、という話をFileNo.3で書きました。
では、それよりもさらに前、最初に大井川鐵道の敷設が計画された時は、どんなルートを通る予定だったのでしょうか?
そのへんについて少し調査してみました。



大井川鐵道が全線開業する昭和6(1931)年より遡ること13年前。
大正7(1918)年12月16日、地元の名士や大都市圏の資産家など50〜60人(資料によって差がある)が発起人となって【駿府鉄道株式会社】を設立し、新たな鉄道路線の敷設免許の申請を行いました。
社名こそ違いますが、これが大井川鐵道の始まりとされています。

この発起人達の中から近藤修孝なる人物が総代として選出されたようですが、どのような人物であったのか?

1.近藤紡績の社長説
【静岡県鉄道物語】(静岡新聞社編集局・昭和56年)という本に書かれていたのが、名古屋に本社を置く近藤紡績(現:株式会社 近藤紡績所)の社長であったというもの。
この近藤紡績の創立は大正6(1917)年なので、創業者の可能性も…?
残念ながら、軽く情報を漁ってみた程度ではこれに関係する資料は見つかりませんでした。
ただ、ちょっと関係性が薄すぎるような…?

2.某鉱業会社の重役説
【大井川鉄道の成立―ある電源開発鉄道の建設過程―】(青木栄一・栗原清・1990)という論文には
「東京市の在住で、聞き取りでは鉱業会社の重役であったとされているが 〜略」と書かれていました。
しかしこの文の後で「〜主要貨物と目された木材との関連は明らかではない。」とされているように、やや説得力に欠ける説であるようです。
またこの論文中には「一般に地方の鉄道計画の発起人は、多数の員数をそろえていても、その多くは頼まれて名を連ねただけの名目的なものであり、彼らが鉄道計画に対して具体的にどの程度の利害関係をもっていたかは疑わしい。」とも書かれていました。
これは頭に入れておく必要がありますね。

3.身延電燈株式会社の社長説
これはWEB上で名前を検索した結果によるものですが、秋田鉄道(現:JR東日本 花輪線の一部)を立ち上げた際(明治45(1912)年)の発起人としてその名を見ることができます。
ただの同姓同名の可能性もあるわけですが、この人物は身延電燈株式会社の社長であるとのこと。
身延電燈株式会社について引用してみます。
「本町の電灯は栄村(南部町栄地区)の近藤修孝、若林宏明等が中心となって身延電灯会社を設立し、〜略」(身延町史第六編第三章第十四節商工業および発電事業より)
この人物は創業者の一人でもあったわけですね。
また今回の駿府鉄道の件よりも後の出来事になりますが、
「この身延電灯会社は大正10年(1921)10月 静岡電力会社 と合併し、静岡電力会社は大正15年(1926)4月に東京電力と合併し、東京電力は昭和3年(1928)4月に東京電灯となり東京電灯は昭和17年(1942)4月に関東配電となり、さらに関東配電は昭和26年5月日本発送電株式会社と合併して現在の東京電力株式会社となったのである。」(同書より)
う〜ん、ややこしい。
あくまで可能性ですが、静岡県の水資源についても多少の知見があった人物なのではないかと思います。
浅く情報を拾っただけですが、この中では一番関りが深そうだなーとは思うのですが、果たして?



ここから先は、先ほど紹介した論文【大井川鉄道の成立―ある電源開発鉄道の建設過程―】(青木栄一・栗原清・1990)を基に進めていきます。

静岡県中部
国土地理院地図より

まず、駿府鉄道敷設のそもそもの主目的は何だったのか?

論文によると、この計画についての免許申請書は現存してはいないものの、静岡県知事より鉄道員監督局長にあてた調査書が残されているとのこと。
これは申請書に書かれた計画や試算の内容が妥当なものであるかどうかについての調査書なわけですが、その冒頭には「起業の目的は大井川上流部の木材積み出しを主とする」と書かれています。
興味深いのは、大井川の水資源を利用した発電事業といった内容については全く触れられていない点。

川根小山
千頭より

大井川に初めて発電所が建設されたのは明治43(1910)年
日英水力電気株式会社本川根町奥泉(現:川根本町奥泉)小山発電所を建設したのが最初です。(次いで、同年に地名発電所が運用開始)
これまでも触れてきたように大井川を南北に結ぶ道路・街道は全くと言っていいほど整備されておらず、千頭以奥地域へ向かうには静岡側から峠を越して荷車で千頭入りするしかありませんでした。
発電所ともなれば 当然、莫大な量の建設資材が必要になるわけですから、その資材輸送は想像を絶するものだったはずです。
将来的に大井川の水を利用した発電事業を見据えていたのであれば「この路線を利用して資材輸送も」という計画になったはずですが、これに全く触れていないのはそのような目論見自体がまだ無かったという事なのかもしれません。

さて、この静岡から千頭へ抜ける街道というのは現在で言うところの国道362号線に当たるわけですが、これはそのまま駿府鉄道の想定ルートであったようです。
ただ、この申請時点においてはそこまで具体的なルート選定はされていないらしく、地図上で示したような図的な資料は全く無いようです。
論文から引用すると
「その予定路線は、静岡市より安倍川の支流藁科川に沿って進み、洗沢辺りで分水嶺を越えて、東川根村(現川根本町)藤川、上川根村(現川根本町)千頭に至る延長30マイル(約48km)のルートであった。
〜略〜
この計画は、静岡 - 千頭間という旧来の交通ルートにそのまま鉄道を重ねたものであり、木材輸送がとくに強調されていた。」

と書かれています。

正確な理由が記されているわけではないようですが、結局のところ、この路線は実現しませんでした。
国道362号線を一度でも通った事のある人ならば、このルート上への鉄道敷設がどれだけ無謀な事であるか、理解頂けるのではないでしょうか?

論文では、以下のように結論づけています。
「また、このルートでは分水嶺付近で急勾配区間となり、貨物輸送にはむしろ不利であって、鉄道についての専門的知識を欠いた観念的なルート選定であったと評することができよう。」

かくして大正9(1920)年、駿府鉄道は全く別のルートへと計画を変更する事になりました。
この続きは、第2話で。



上述の調査書において、少し興味を引いた項目がありました。

『四.他の鉄道又は軌道に及ぼす影響』

論文によると、
「この鉄道予定線が静岡市付近で安倍鉄道延長線と駿遠電気線と交差する部分があり、交差を避けるルートに改めたり、立体交差の設備を設けることなどの指示に触れたものである。」
と説明されていました。

この『安倍鉄道延長線』『駿遠電気線』とは何なのか?

静岡 Click!
5万分の1 静岡 より

この地図は 明治22年測図/大正4年修正/昭和5年部分修正とされる5万分の1【静岡】の地図。
FileNo.1で少し触れた、【舟山】(川の中の山)が見えますね。

クリック後の図で赤く囲ったのが安倍鉄道(あべてつどう)

安部鉄道 Click!
5万分の1 静岡 より

安倍鉄道とは、かつて静岡市井ノ宮(現:静岡市葵区井宮町)安倍郡賤機村(しずはたむら)牛妻(現:静岡市葵区牛妻)を結んでいた軽便鉄道路線のこと。

安倍川沿いで産出される木材を運搬するための鉄道として敷設され、大正5(1916)年4月15日に開通しました。
開通後は本来の目的である貨物輸送に加え地元住民の足として親しまれましたが、自動車の普及によって経営が悪化。
昭和9(1934)年には廃止という極めて短命な路線であったようです。
上の地図は終点の井ノ宮駅近辺のもの。
他の鉄道路線と全く接続することのない孤立した路線で、静岡駅にも繋がっていなかった事が経営不振の一因ではないかとの見方もあるようですね。

さて、ここで気になるのは調査書にある名称が【安倍鉄道 延長線 】となっている事。
この安倍鉄道は開業から廃止まで井ノ宮〜牛妻間を結んでいただけで、延伸などはされていないはずですが…?

可能性として、経営が好調だった時期に練られていたという3つの延伸計画が考えられます。
・井ノ宮〜静岡間
静岡駅への接続が重要視されていたことが伺える計画です。
・牛妻〜梅ヶ島間
安倍鉄道の敷設目的は木材搬送だったとの事なので、上流部への延伸計画はむしろ開業以前からあったのでは?とも思えます。
とはいえ、牛妻から梅ヶ島までは本線(井ノ宮〜牛妻間が約10km)の3倍以上の距離があるわけですが…。
・藁科支線
敷設免許願を提出はしたものの、見込みナシとして鉄道省監督局から却下されたという支線構想。
安倍川を渡って藁科川沿いに遡上していく案のようではありますが、詳細は不明。

とまあ これらの計画が先に鉄道省監督局に提出されていて、その予定線との交差が発生する事を指摘されたのでは?というのが今のところの仮説です。

静岡 Click!
5万分の1 静岡 より

お次は、クリック後の図で青く囲った駿遠電気線(すんえんでんきせん)について。
地図上では『静岡電気鉄道』と表記されているこのルートに見覚えのある方は多いと思います。

そう、現在の 静岡鉄道 です。

創業は明治40(1907)年ですが、その長い歴史の中でも『駿遠電気線』と呼ばれたのは大正8(1919)年〜大正12(1923)年のわずか4年の間だけでした。

駿遠電気線 Click!
5万分の1 静岡 より

終点は現在の新静岡駅とほぼ同位置と思われますが、次の駅は【まがりかね】になっていますね。
現在の柚木駅の位置でしょうか。
曲金という地名は国道1号線やJR東海道線よりも南側を指すはずですが、記録を追いかければまた面白い歴史が見えてくるのかもしれません。

さて、調査書によれば駿府鉄道はこの2本の路線に交差するルートが予定されていた事になるわけですが、起点をいったいどこに置くつもりだったのでしょうかね?
東海道線に沿うように伸びている駿遠電気線と交差してから西進し、護国神社・静岡浅間神社・駿府城址を掻い潜りながらさらに安倍鉄道延長線と交差した後、安倍川を渡る…。

そんなルートあるか?!

駿府鉄道予定線予想ルート
国土地理院地図より

というわけで、こちらが“勝手に大井川”勝手に妄想した駿府鉄道予定線の予想ルートになります!
とは言え、起点が分からない以上はどうにもならないのですけど。

いろいろ考えた末、用地取得が容易そうな静岡駅の東側を起点と仮定して、そのまま北上して駿遠電気線を越えた後、駿府城址の北側を回り込むルートを設定してみました。
まあまあ、あくまでお遊びとして捉えてくださいませ!
妄想するのは自由ですからね。

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