川岸に眠る不達の神殿
笹間渡発電所
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第2話 発電が終了した日から、65年が経った。
さてさて。
何はともあれ、現地にたどり着けないことにはどうにもなりません。
実のところ 建物に辿り着く方法は、WEB上で簡単に見つける事ができます。
到達経路
【A】上流の対岸から大井川を渡って行く方法。
【B】下流の笹間渡から大井川を遡って(途中、渡河あり)行く方法。
この2通りがポピュラーな行き方のようです。
どちらのルートを取っても、最終的には目的地南側(下流側)の端にある梯子を登って建屋のあるエリアへアクセス可能なのだとか。
いずれも確実に到達できる方法なのですが、水量や天候によって その成功確率は大きく左右されます。
だがしかし。
どちらも
正規のルート ではない。
ここで言う『正規のルート』とは、発電所の現役当時に使用されていた 言わば
『通勤路』のような存在を指します。
ではこの『正規のルート』を通ったレポートはないのか?
実は数件、この正規のルートについて言及されたサイトもありました。
しかしかなり崩壊が進んでいて、通行するには危険が大きすぎるとのこと。
ほとんどの方が途中で断念されている中、完踏レポートは1件だけ確認できました。
なるほどなるほど…。
当サイトとしては、やはり
勝手に完踏を目指したい!
まずは紙媒体での資料を当たって、もう少し当時の雰囲気を調べてみましょう。

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大井川写真案内記 より
こちらは
昭和3(1928)年11月に発行された
【大井川写真案内記】の中の1枚です。
この周辺は 激しく蛇行を繰り返す『
鵜山の七曲り 』と呼ばれる景勝地。
山の形が鵜が水に臨む形をしていることから鵜山という名前が付いたようです。
で、その
鵜山の七曲りの入口付近の様子として大井川に浮かぶ筏を捉えたのがこの写真。
(注:上流から下流方向を見た状態。右奥に大井川と笹間川の出会いがあります。)
なんと、写っているのは着工されたばかりの
笹間渡発電所じゃあありませんか。
まさに工事中!といった様子ですね。
この写真をよく見ると、建設現場に向かって背後の山の斜面を九十九折りに降りてくる道があります。
しかし地元の方々ならご存じの通り、ここの山肌は急斜面。
道の折れ方、回数がその急角度っぷりを表していますね。
ではこれが
正規のルート なのか?! というと、ほんのちょっと違う。
これは 地名地区から水を引く
隧道や、水路式発電所に必須の
水槽(ヘッドタンク)・水圧鉄管を設置するための作業道と言った方が相応しい…のですが。
実を言うと、正規ルートの
『 旧道 』とも言える道だったりします。
理由はおそらく次話辺りで触れる事になりますので、お楽しみに。
それにしても、この山肌の露出っぷりときたら…。
周囲はかなり広範囲に伐採されているようですね。
で、それを別角度から捉えた写真がこちら。

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大井川写真案内記 より
同著に掲載されていた写真です。
目の前に広がる山肌は
ほぼ丸裸。
説明文によると、これは
伊久身村笹間渡(現:島田市川根町笹間渡、当時は志太郡伊久身村に属していた)から撮影したもので、対岸の盆地が
抜里地区、左奥の山が
白光山付近、右奥の山が
大日山付近となっています。
となればこれは、先の写真に写っていた
笹間渡発電所建設現場の背後の山頂あたりから捉えた写真で間違いありません。
杉林に覆われた現在では 容易に望むことのできない、貴重な写真ですね。
笹間渡発電所
東海パルプ100年史 より
こちらは
第1話でも紹介させて頂いた、完成直後の笹間渡発電所の様子。
発電所全体が写った貴重な写真です。
中央が発電所建屋ですが、左側面(写真の左側)には階段と入り口らしきものが見え さらに国旗が掲揚されていることから、ここが正面入り口かな、と。
そして右奥に見えるのが変電設備。
ここから送電が行われていたようです。
建屋の背後の山には
水槽と
高圧水管が見えます。
ここで注目したいのは、写真左手に延びている石垣。
現地調査の際には この石垣も確認したいところですね。

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【清水文庫】昭和の風景動画第16集 大井川下り 昭和6年7月4日 川下り新金谷五和村居林福用笹間渡徳山村地名つり橋昭和橋下川根村石風呂鵜山の七曲がり家山神尾峡地層の褶曲神座 より
さてお次はなんと、貴重な貴重な映像資料です。
あ、ここでは切り抜き静止画なんですけど…。
で、タイトルにもあるように、
昭和6(1931)年7月に 大井川を下る舟上から撮影されたもののようです。
テロップ
『峡中 新設の東海紙料会社 発電所』に続いて、稼働開始直後の笹間渡発電所が映し出されます。
引いた位置から撮られている事もあって、上の写真には写っていなかった建物が確認できますね。
これらの建物は、資料によれば
社宅や
事務所だったそうです。
どうにも現在の姿からは 想像もつかないような規模ですよ。
そうそう 肝心の「正規のルート」ですが、この視点からでは確認しようもありません…。

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昭和20(1945)年代の様子
読者提供写真より
時代は下り、
昭和20(1945)年代のものとされる写真。
おそらく対岸からの撮影だと思われます。
と言うか、
山肌が見えすぎでは…?
稼働が始まってから10年以上経つというのに ここまで徹底して刈っているのには理由があるんでしょうか?
さて、先の写真には写っていなかった小さな建物が、発電所の左側に現れました。
これは事務所か、はたまたトイレとか?
で、
正規のルートは目視できるのか。
敷地から延びていく道筋はと言えば、まず裏へ登って行く九十九折れの山道が目につきます。
この年代になっても綺麗に整備されているように見える事から、メンテナンス用の道として活用しているのだと思います。
そしてもう一つ、水槽の辺りから左(大井川上流方向)へ延びていく道も見えますね。
最寄り駅である
笹間渡駅(現:川根温泉笹間渡駅)とはまるっきり逆方向へ向かっているわけですが、お隣の
地名駅へ行くには遠すぎます。
そもそもこの先は
鵜山の七曲りを構成する断崖がずっと続くわけで、普段使いするには不便すぎる。
このあたり、現地調査で確認できると良いのですが。
ちなみに下の段にも上流方向へ延びていくスジが見えますが…色が濃い。
これは道じゃないな…、
水路ですかね?
さらに時代は下り、昭和30年頃の様子…を捉えた写真もありますが、ほとんど変化はないので割愛します。
というわけで、こちらが
トドメの資料。
昭和15(1940)年の地図
昭和15(1940)年に要部修正されたという地図です。
最寄り駅となる
笹間渡駅から発電所までの区間に注目してみます。

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昭和15(1940)年の地図
ちょっとボケていて見ずらいですが、これこそが
『正規のルート』。
クリック後の赤線がそれです。
おそらく
町村道にあたる
細実線(道幅1m以上 2m未満)で描かれているそのラインは 大井川沿いを下り、途中で180°向きを変え 笹間川を渡った後、笹間渡駅へと向かっています。
始点(笹間渡駅側)は笹間渡から北へ延びる
主要道(現在の県道63号 藤枝天竜線)から分かれており、
終点(発電所側)は、敷地の南端(現在の大井川から上がってくる梯子のあたり)で終わっているのが分かります。
地図と、昭和35(1960)年代撮影の航空写真、現在の衛星写真を重ねてみました。
地図「家山」、国土地理院 航空写真、GoogleMap 衛星写真より
[1940年地図]
[1960年代]
[2026年]
少なくとも1度の稜線越え、1度の笹間川渡りをすることになりますが、果たしてどんな道のりなんでしょうか?
実のところ、発電所周辺の茶畑所有者の方も 当然このルートを把握しておられたようです。
しかし既に崩壊が始まっており あまりに危険だという事で公言しなかった、といった経緯があるようですね。
さらに悪い事に 例のTV番組放映以降、写真撮影に興じるあまり茶畑を踏み荒らす、挨拶しても無視するなど、マナーの悪い輩が急激に増えてしまったことも理由の一つだとか…。
次回はいよいよ
現地調査編!!
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