川岸に眠る不達の神殿

笹間渡発電所

TOP
第1話 第2話 第3話 第4話 第5話 第6話 第7話 第8話 第9話



第7話 街道とはなにか、知ってるつもりになっていないだろうか?


注:この調査は2回に渡っており、本レポートではその2日間の写真の中から良い方を選択しています。

笹間渡発電所跡
現在地

笹間渡吊橋(仮称)左岸側主塔

右岸側のものと同様の主塔が、実に綺麗な状態で屹立していました。

笹間渡発電所跡 Click!

上流側の脚根元には、右岸側同様2本の穴が開いています。
が、こちらにはネジは刺さっていませんでした。

笹間渡発電所跡

左側の脚には何もなし。
こちらもやはり、橋の名前を示すようなものは何も確認できませんでした。

笹間渡発電所跡 Click!

上を見上げれば、やはり下流側にL字鋼が装備されていますね。
そして、川側の写真を撮り忘れるという痛恨のミス。
おそらく そちらに電灯があったはずです。

笹間渡発電所跡 Click!

足元には、対岸同様 ちゃんと耐風索アンカレイジが残っていました。

笹間渡発電所跡 Click!

しかも両側に。

では主索用は?と思い背後を確認するも切り立った崖で何も見えず。
とりあえず側面からよじ登ってみると…

笹間渡発電所跡 Click!

!!

アンカレイジどころか、主索そのものじゃあないですか!
カットされた状態ではあるものの…いやはや凄い。
重い機材の運搬にも耐え抜いたのが、このワイヤーの束なんですねぇ!

下に降りて、もう片方の主索をピンポイントで探ってみると…。

笹間渡発電所跡 Click!

あれか!
ホントになんでも残っているなぁ、この吊橋は。

笹間渡発電所跡

大日如来像が祀られていたであろう祠。
これはちょうど吊橋の真正面にありました。

昭和5年2月建 (昭和5年は1930年)

往来の無事を祈るためか、はたまた鎮魂の為か。
ここの主は 何処かへ移転したのでしょうか?

主塔の足元に謎のコンクリート片があったので確認してみます。

笹間渡発電所跡 Click!

…何だこれ?

そうそう、主塔の真下はこんな状態になっていました。

笹間渡発電所跡 Click!

おそらく踏板を固定する部品などの、取り付けの部分だろうと思います。



さてさて、主塔を存分に堪能したし ずっと蜂の羽音が遠巻きに唸っているのも聞こえるので、笹間渡駅方面へと向かうことにします。

笹間渡発電所跡
現在地

こちらはやはり綺麗な状態。
道幅も1.5mはあるでしょうか。

笹間渡発電所跡 現在地
Click!

そのまま大井川鐵道の線路に沿うような道へ。
クリック後の写真は、振り返っての撮影です。

そしてその先。
いよいよ線路と交錯します。

笹間渡発電所跡
現在地

とまれみよ

そこにあったのは第4種踏切
ここを渡った先の道は、冒頭書いたように個人宅のお庭へと続いていきます。

笹間渡発電所跡 Click!

反対側の警報標識には この踏切の名称があったようですが、なぜか写真に撮っていなかった…。
WEB上での情報によれば、ここは「旧川根道踏切」だそうです。

まだ裏付けは取れていませんが、現在の県道63号 藤枝天竜線が整備されるより遥か昔は、こちらの道こそが主要街道だったのではないでしょうか?(踏切ができるよりもずっと前の話)
先程の吊橋の取り付け道よりも線路の切通の方が立派なため混乱しそうですが、吊橋の取り付け道の方こそが そもそもの旧道(徒道)ではないか?と。
これについては、第9話の『ウラ話』の方で少し触れます。

*** 追記 ***


笹間渡発電所跡

この標識において、インスタフォロワーの@drunkard_k.m.izu氏が 写真をご提供くださいました!
ありがとうございます!

*** 追記終わり ***

笹間渡発電所跡
現在地

まあとにかく、探索スタート地点から東側のルート解明は終わりました。
再びスタート地点へと戻り、残された 発電所までの道のり を追求していきます!



いやはや、素晴らしい遺構に出会いました。
こうなると気になるのは、吊橋の現役当時の姿
「せめて写真くらい残っていないのか?」
という話になるわけですが…

実は、
これには心当たりがある!

第2話FileNo.04 昭和橋 でも紹介した動画。
あの映像の中に、笹間渡駅を通過した列車の車窓からの景色として この吊橋が写っていたのです。

それではご覧いただきましょう。

これが、笹間渡吊橋(仮称) の姿です!


笹間渡吊橋(仮称)
Click!
現在地
大きいサイズの写真はこちら。)

横長すぎてごめん。
列車の動きに合わせて下流から上流へ向かってパンするように撮影されているため、部分ごとに切出して合成してみました。
いやもうね、ちょっと感動的ですよ。
まあとにかく、ここから得られる情報を整理していきましょう。

この映像の撮影日が昭和6(1931)年7月とのことで、笹間渡発電所の営業開始から約5か月が経ったころ。
必然、架橋された日はそれ以前という事になります。
そもそもの話、この吊橋の用途は『笹間渡発電所建設のため』と考えるのが自然。
第2話で参考にした地図にある道筋が、この先の笹間渡発電所にしか到達していないからです。
(この場合、笹間渡吊橋(仮称)は東海パルプ、あるいは中部電力の所有物であり、前後の道も私道になるのかも。)
つまり、当サイトでは着工日とされる昭和3(1928)年2月1日前後に架橋されたと推測します。

では前話で、似た意匠の例として挙げた川根大橋恋金橋はいつ頃のものなのか?
まず2代目川根大橋昭和7(1932)年の竣工(3代目は、焼失した2代目の主塔をそのまま利用した)。
そして恋金橋もまた同年の11月の竣工という事が判明しています。
とすれば 笹間渡吊橋(仮称)の方が かなりの大先輩というわけですね。
この吊橋を真似て、あるいは参考にして設計したのか、もしや同じ人物が設計したのか?
大井川流域に存在した吊橋の技術的系譜を作れたら、また色んなことが見えてくるかもしれません。

さらに詳しく見ていきましょう。
まず吊橋全体の構造ですが、主塔は一般的な大井川型鉄線吊橋とよく似た特徴を備えていました。
主索は主塔の上に架かっており、現地調査で判明したように耐風索もあったようです。
しかし大井川型鉄線吊橋と決定的に違うのは、踏板まわり。
詳しくはFileNo15:柳崎橋を見てもらうとして。
なにやら踏板がぎっしりと隙間なく張られているように見えます。
大井川型の特徴とも言える底線&踏板ではないんです。
これはおそらく車両の通行を想定してのものでしょう。
踏板の下側に 一定間隔で構造材が見え隠れしていますが…さすがに詳細まではわからない。
また手摺線も、ワイヤーではなく木材で設えてあるようですね。
どちらが安心して渡れるかと言えば、間違いなく後者!

次に橋周辺の取付道について見てみましょう。
今回辿ってきた道筋は、そのまま正しかったようですね。
ここで注目するべきポイントは3つ。

1.この映像の撮影時点で、切通し部は開削が終わっているように見えます。
開削で出たズリ(残土)が 笹間川の方に押し出されていますが、やはりかなりの量ですね。
そのズリの下に積み重なっているのは丸太でしょうか?
思い出してみれば発電所の裏側の山の斜面は、裸と言ってもいいほど伐採されていました。
そこで伐り出した木材は おそらく大井川の方へ出されたとして、写真に写っている分は切通し部の開削の時に出た木材なのかもしれません。

2.ハンバネ山を越える旧道がハッキリ見えていること。
営業運転が始まったあとの数年間は 人々はこの道を利用していたようです。
これだけハッキリ見えているとは、当時はもっと道幅があったのかもしれません。

3.中央に写っているのは電柱?
主塔には電灯が付いていた形跡がありました。
その場合、どこから電気を引いていたのか?
それはもう間違いなく笹間渡発電所なわけで、ここに電柱が立っていても何の不思議もありませんね。
ただ…現地で見た覚えがないんだよな…。
チェックが甘かったな…。



第8話へ

第1話 第2話 第3話 第4話 第5話 第6話 第7話 第8話 第9話
TOP