大井川鐵道 横岡駅を知る
横岡駅
TOP
第1話
第2話
追記編
第3話
第4話
第5話
第6話
第7話
第1話 こんな駅を御存知であろうか。
“大井川鐵道 横岡駅”で検索をかけると、主にニ種類の情報が見つかります。
一つは、2003年頃に設置された横岡仮駅。
当時、五和〜神尾間が土砂崩れのため不通となり その代替運転としてバス振り替えが行われました。
その際、大井川鐵道の大型バスが停車しやすいよう現在の新東名ガード下に一時的に設置された仮駅の事です。
この時の運行については、列車事故を防ぐための
“スタフ閉塞”という旧来の方式が一時的に復活しました。
この仮駅の存在自体は そこまで注目を浴びるような事ではないのですが、この
“スタフ閉塞”が時代的にも珍しい出来事であったため、
ニュース記事以外の 個人サイト記事で少なからず取り上げられ、今でも見ることができるのは興味深いです。
そしてもう一つが、今回紹介する物件。
【 横岡駅 】
大井川鐵道開業当時の終着駅のことです。
Click!
吉田初三郎 茶の静岡縣より一部抜粋
こちらは1927年(昭和2年)に吉田初三郎によって描かれた絵の一部です。
サイズ的に全体を載せるのは少々困難なので、一部分になってしまって申し訳ない。
こちらは
国際日本文化研究センターのサイトにて観ることができます。
大井川鐵道本線は
金谷・新金谷・五和・横岡の4駅での開業でした。
昭和2年(1927)6月17日の
『官報』第139号448頁「地方鉄道運輸開始」の項目によれば、
距離は約四哩(マイル)で
金谷‐横岡間の運賃は24銭だったとのこと。
四哩は約6.4km。昭和2年の24銭は令和3年換算で約161円になるでしょうか。(換算方法によってかなり差が出ますが…)
そして
所要時間は28分となっています。
中川根町史 近現代通史編より
6月いっぱいは汽車賃全線半額という事なんでしょうか、凄い。
中央には時刻表が載っていますが、さすがに字が潰れて読めません。
そこでもう一度【 静岡県鐵道軌道史 】に戻ると、少しですが時刻表の情報も載っていました。
〜下り〜
金谷始発 午前6時55分、横岡着同7時23分。
最終 金谷発午後7時55分、同8時3分新金谷止まり。
〜上り〜
新金谷始発午前6時26分、金谷着同6時40分。
最終 横岡発午後6時57分、金谷着同7時37分。
1日14往復の運転だった。
とあります。
所要時間28分というのは、下りの時間のようですね。
ご存じの通り金谷‐新金谷間はほぼ勾配区間なので、上りの方が下りよりも大幅に時間が掛かったのでしょう。
さて上述のとおり4駅で営業を始めた大井川鐵道ですが、正確には五和〜横岡間に
“横岡分岐”という地点(駅ではない)が存在していました。(現在の五和変電所付近)
これは4駅での開業はあくまで暫定であるため。
会社設立当初から はるか上流の東川根村藤川までの開通を計画しており(1930年に上川根村千頭を終点とするように計画変更している)
まずは横岡駅を仮の終点としつつ同時に“横岡分岐”からの本線延伸工事も行われていた、という事らしい。
つまりは、こんな感じ。
Click!
国土地理院 地図・空中写真・地理調査より
これは1930年(昭和5年)に測量されたという地図です。
かなり見づらいですが・・・。
なんとなく雰囲気は伝わるかと。
そんなわけで、まずはこの“横岡駅”に関係する出来事だけを年表に簡単にまとめてみたいと思います。
1925年(大正14年)3月10日:大井川鐵道株式会社 設立
1927年(昭和2年)6月10日:金谷駅 - 横岡駅間開業
1928年(昭和3年)7月20日:横岡分岐点 - 居林駅(現在は廃止)間開業(貨物営業のみ)
1931年(昭和6年)12月1日:金谷駅 - 千頭駅間開業、同年12月2日:横岡分岐点 - 横岡駅間休止
1936年(昭和11年)9月30日:横岡駅 鐵道営業廃止
1937年(昭和12年)3月19日付:横岡側線撤去届出
1939年(昭和14年)廃止
とまあこんな感じらしいのです・・・が、正直よくわかりません。
どの資料を紐解いても、開業日はこれで正解らしい、が、終わり方がどうにもハッキリしない・・・。
上の年表は様々な情報を自分なりに総合しての結果なのです。
あくまで目安と捉えて頂けるとありがたい。
*** 追記 ***
【大井川鉄道30年の歩み】(大井川鉄道株式会社/編 1955)の本文中に、次のような記述がありました。
「なおこの横岡支線は、後に家山まで鉄道が延長され、且金谷家山間に当社でバス営業を始めたので昭和十一年九月三十日限り営業を廃止した。」
そして巻末の歴史年表には、
「昭和六年一二月二日 横岡支線分岐点横岡間運輸営業廃止」
と書かれています。(昭和十一年には特に記載なし)
以上の事から、
昭和六年一二月から昭和十一年九月の間は、旅客営業のみだったと考えられます。
昭和六年に金谷〜千頭間が開通したことで横岡港からの船便(貨物)は需要が無くなったわけで、当然の流れとも言えるのでは。
で、先述の年表を改定すると次のような流れに。
1925年(大正14年)3月10日:大井川鐵道株式会社 設立
1927年(昭和2年)6月10日:金谷駅 - 横岡駅間開業
1928年(昭和3年)7月20日:横岡分岐点 - 居林駅(現在は廃止)間開業(貨物営業のみ)
1931年(昭和6年)12月1日:金谷駅 - 千頭駅間開業、同年12月2日:横岡分岐点 - 横岡間運輸営業廃止
1936年(昭和11年)9月30日:横岡駅 旅客営業廃止
1937年(昭和12年)3月19日付:横岡側線撤去届出
1939年(昭和14年)廃止
*** 追記終わり ***
この横岡駅についてweb検索をかけると、言及しているのは僅かに4サイトほどです。
こういった廃線系ネタであればもうちょっとレポートが見つかりそうなもんですが、少ない理由は主に2つ。
まず1つは
遺構がほぼ無い事。(唯一残っている橋台跡については第2話で写真を載せます。)
もう1つは
施設が現役だった頃の写真がない事。
当時の駅舎や周辺の風景、貨物の積み込み等の写真が、どうにも見つからないのです・・・。
(おそらく大井川鐵道本社資料室にはあるのだろうけど…)
記事にしようにも、これでは盛り上がりに欠けるというもの。
結局のところ、当サイトでも見つけることは出来ませんでした。
が、僅かにでも当時の雰囲気を想像できるよう資料を集めておりますので、次回の現地調査編をお楽しみに。
とまあそんなわけで、この
【 大井川鐵道 横岡駅跡 】に行ってみます!
第1話
第2話
追記編
第3話
第4話
第5話
第6話
第7話
TOP