大井川鐵道 横岡駅を知る

横岡駅

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第1話 第2話
追記編
第3話 第4話 第5話 第6話 第7話

第2話 鉄路がっている


第1話で書いた年表を頼りに調査するとして、まずは当時の“金谷”とはどんな感じであったのか。



これは、Youtubeにて“ねこしん”氏が投稿されている【 超貴重!昭和30年代初頭の大井川鉄道PR映像 】という動画です。
動画冒頭に金谷の様子を俯瞰で見られるシーンがあります。
撮影地は、現在の“牧之原公園”付近でしょうか?
氏のコメント欄にもあるように、1955年(昭和30年)か1956年(昭和31年)頃の映像のようです。
動画内では既に金谷‐千頭間は開通・電化済みで、電車による旅客輸送が始まっています。

モノクロなのでハッキリしませんが、ほとんどが水田のようです。
大井川と町の境界は ずらりと並んでいる松林?のラインなのでしょうか。
大代川の流れにも、同じような樹木のラインが見えます。
今回の目標となる“横岡駅現役時代”より25年ほど後の映像ではありますが、沿線の長閑な風景などは充分 参考になると思います。



さてさて、第1話のほうで“横岡駅そのものの写真が見つからない”とハッキリ書いてしまったので
このまま僅かな現地の写真を数枚載せて

「調査終了!」

としてもよいのですが・・・。
さすがにそれでは寂しすぎるというもの。
というわけで、こちらをどうぞ!

航空写真

国土地理院 航空写真より

[1962年]  [ 補足 ]  [2022年]

見やすくするために 大きめの写真でお届けします。
これは1962年(昭和37年)の航空写真。
横岡駅(横岡分岐‐横岡駅)の予想廃止年から23年後の様子です。
畑や住宅地、道路など様々な形に用地転用された線形が、ハッキリ見て取れる唯一の写真です。
【 補足 】の部分をクリック・タップすると出てくる黄色いラインが横岡駅方面の路線で、赤い線が本線です。
これより僅かに年代が下るだけで、もうこのラインは見えなくなってしまいます。
【2022年】の写真では、当時の駅周辺の線形が かろうじて判別できる程度です。

改めて線形を見てみると、横岡分岐から東側(大井川側)へ一旦大きくカーブし、その後S字を描くように緩やかな左カーブを経て横岡駅構内へ入っていたようです。
駅構内は 仮とはいえ終着駅然とした広さを持っていたようですが、どのようなレイアウトだったのか、客扱いと貨物扱いの割合がどの程度だったのか等、詳しい情報を読み取る事までは さすがにできませんね。

それでは、現地へ!



上述の事前調査でもわかるとおり、現在では当時の面影を見ることはほぼ不可能な状態。
今回の探索では、分かり易い所だけに絞って紹介していきます。

まずは横岡分岐から見ていきましょう。

全体図

写真中の【A】地点が横岡分岐。
これは現在の大井川鐵道五和変電所の位置に当たります。

大井川鐵道五和変電所
Google Map ストリートビューより

この変電所そばの架線柱には、こんな標識が。

Click!

そして金谷方面に移動した次の架線柱にも、(下り列車に向けて)同じ標識が掲げられています。
おそらく鉄道に興味のある人以外にはどーでもいい知識なのですが、この標識で挟まれた区間は“エアセクション”と呼ばる区間。
ざっくり言うと“異なる電力系統の境目になる地点”でしょうか。
えーとつまりは、詳しくは検索してみてね!という事です。

次に【B】地点へ。 ここには唯一の遺構である橋台跡があります。

Click!

写真に写っているのは金谷方の橋台跡で、千頭方は残ってもいません。
よく見ると鉄のボルトが埋まっていました。

Click!

また、その脇には【大鉄】と書かれた境界杭があります。

大井川鐵道用地杭

お次は【C】地点へ。
上の写真にも写っている水路を 大井川鐵道本線が渡っている地点。
ここには鉄橋がかかっています。

大井川鐵道鉄橋

〇〇タイプのガーダー橋です!と、スッと言えるような大人になりたい。

第1話で書いたように 大井川鐵道開業時には、横岡駅方面の開通と同時に 上流へ向かう本線の工事も進められていたはず。
で、この橋にもそれらしき情報があります。

大井川鐵道鉄橋

橋名板。
写真がイマイチ過ぎて残念な事になっていますが、
KISHA SEIZO KAISHA
OSAKA 1926
汽車製造株式會社
・大阪・
大正拾五年製造
と書かれています。
金谷‐横岡間の開業が1927年(昭和2年)なので、この橋は既に架橋されていた事になります。
ざっと100年前の橋が、未だに現役!

では、この次の橋(もちろん千頭方面)はどうなのか?
という事が気になったので、【D】地点へ。

大井川鐵道鉄橋

この地点はまだ、国道473号と並走している区間。
写真左端のあたりに橋名板はありました。

プレート

こちらはヒビが入っていますが、先ほどの橋名板とデザインも何もかも同じ。
KISHA SEIZO KAISHA
OSAKA 1926
汽車製造株式會社
・大阪・
大正拾五年製造
となっています。
つまりこの橋も、既に施工済みだったという事!
なんだか感動

となれば、確認すべきは もちろん次の地点【E】!

プレート

これはトラフガーダー橋!で合ってますかね?
支間(橋の長さ)が長いということもあり、先の2つとは趣が違っています。

プレート

橋名板は特になく、橋に直接手書きでした。
が、正直読めない。
「*号澤根川橋」?
「施〜」?
「昭和〜」?
「支間6m」?
うーーーーむ。
肝心な情報がわからない。
橋の反対側も確認しておくべきだったな・・・何かあったかも。
またいつか、チェックしてみよう。
**何もありませんでした。 同年6月追記**
なんにせよ、本線の工事が同時に行われていた事は確認できました。



それではいよいよ駅周辺です。
地図上に記した、【F】地点。

横岡駅

左が1962年、右が2022年の航空写真です。
で、先に言ってしまうと痕跡などは何もありません。

横岡駅

これは黄色矢印方向を写したもの。
建物の向きや道路の向きが、そのまま廃線跡になります。
で、実は写真のオレンジ色の丸付近に かなり古い境界杭のようなものが2つあるのですが、これは遺構なのかどうか・・・。

境界杭

全面が風化していて、詳細が全く分からない状態です。
旧写真の位置と照らし合わせてみると全く関係ない場所のようですが・・・。
なんにせよ当時の施設の情報が見つからない限りは、判断がつきませんねぇ。

そしてそして、お次は【G】地点。

駅舎への道?

青矢印方向を映した写真ですが、たぶんこの道、当時から変わっていないのでは?と思うのです。
写真のとおり数メートル進んだところで右へ僅かに曲がっていますが、これが駅舎へ繋がる道ではなかったか?と。
駅のヤードの北東側(写真【H】地点)あたりが当時の横岡港(大井川にある港)とすれば、貨物の積み込みも そちら側で行うのが効率的。
とすれば旅客はヤードの西側で乗り降りしていたのでは?と想像したわけです。
すると街道へ出るにはこの写真の道を通ることになり、つまりは・・・
この辺りに落ちている砂利の中には、100年前の当時の人達に踏まれまくった石も混じっているのでは?ってことです。

横岡港
写真案内記 日本南アルプスと大井川 復刻版(平成二十三年発行)より

横岡港の写真は見つかりました。
いつ頃の写真なのかまでは分かりませんが・・・。
大井川の水量がハンパないですねぇ。
右端に写っている黒々した山が“牛尾山”のようです。
沿線の当時の特産品である木材・木炭・木皮・製茶・椎茸等の物資は、ここで鉄道貨物に乗せ換えて全国各地に出荷されたのでしょう。



*** 6月追記 ***


昭和の風景動画第16集 大井川下り 昭和6年7月4日 川下り、新金谷、五和村居林、福用、笹間渡、徳山村地名、つり橋 昭和橋、下川根村石風呂、鵜山の七曲がり、家山、神尾峡、地層の褶曲、神座

これは昭和6年7月の川下り旅行を撮影した映像のようです。
(もともとは【清水文庫】というとても貴重な蔵書類・映像類の内の一つで、許可を取ってアップロードされているとのこと。
動画の詳しい説明はリンク先のYouTube説明欄をご覧ください。)

一行は島田駅を出発して大井川鐵道新金谷駅からSL列車に乗り、開通から1年が過ぎた地名駅で下車しています。
この動画の1:54辺りに当時の五和村福用驛に停車しているシーンがありますが、ここで写っている駅名標がなかなか興味深い。

昭和6年 福用駅 駅名標
清水文庫【大井川下り_昭和6年7月4日(島田駅の様子、車で新金谷へ、ここから大井川鉄道の車窓、中川根付近で下車、大井川下り、大井川保勝会、秋野さんら)】より抜粋

下り方向の福用駅の次は“いへやま”(現:家山駅)で、大和田駅はまだありません。
そして上り方向の次の駅には“よこおか”(今回の調査対象である横岡駅)と “ごか”(現:合格駅)が上下2段で併記されています。 (神尾駅はまだありません。)
これはつまり、福用駅を金谷方面に向かって出発した列車が横岡分岐点を過ぎた後にスイッチバックしてそのまま横岡駅に入線する便があったという事。
web上の記事によると、当時の時刻表には確かにそのような記録があるらしいです。
自分はまだ未確認なので、これについても調査してみます。
どのくらいの期間、どのくらいの頻度でそのような運行があったのか、気になります。
(10月追記分・第3話にて、当時の時刻表についての検証記事を作成しました。)



*** 6月追記 ***

金谷コミュニティ委員会の広報紙「ほほえみ」のNo.161号に、横岡駅についての記事がありました。
その記事によると、

「昭和12年に廃駅となり、跡地は一時、戦後引き揚げ者の住宅地となりました。」
ほほえみ No.161より

と書かれています。
この記事はこちら(PDF)で読むことができます。



追加調査中に、開業当時の時刻表を発見しました。
これについて検証し始めた所、ちょっと量が多くなってしまったので別ページにまとめました。
そちらもぜひご覧ください。

第3話



そんなわけで今回は100年近く昔の駅の話だったわけですが、その姿はぼんやりとしかわかりませんでした。
せめて当時の写真を見ることができればなー。



名所File No.03
大井川鐵道 旧横岡分岐〜旧横岡駅跡

営業時間:営業終了
所在地:静岡県島田市横岡新田
交通アクセス:大井川鐵道 門出駅より 徒歩20分






*** 6月追記 ***

*広報誌「ほほえみ」内の記事について追加しました。(同年6月)
*Youtube動画へのリンクを追加しました。(同年6月)


調査継続中。


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