伊久美川に囲まれてみた
野鳥の森
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第1話
第2話
第1話 山の数が増えた。
今回の舞台はこちら。
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国土地理院地図より
【島田市野外活動センター 山の家】
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国土地理院航空写真より
の
隣。
そう、みなさんお待ちかね。
切通シリーズの第3弾ですよ!
(第1弾:地蔵峠山
第2弾:松島山)
↑↑こちらもどうぞ!
で、3方を伊久美川に囲まれた半島状のこの山、本当に
切通でできた山なの?
とお思いの方もいらっしゃることでしょう。
GoogleMapストリートビューより
確かに、ここから繋がるはずの稜線ラインを ちょっと想像しづらい。
何せ、静岡県道64号を挟んだ
山の根元部分にあたる土地は2023年現在、こんな感じなのだから。
GoogleMapストリートビューより
こちらは
株式会社大河原事業の
川口処分場。
山の形はすっかり変わっており 本当に繋がっていたのか、にわかには信じがたい状態です。
では、この土地の成り立ちをいつものように空から追ってみます。
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国土地理院航空写真より
まずは 昭和37(1962)年9月9日の写真。
見事に山が続いているのが、お分かりいただけるでしょうか。
蛇行する
伊久美川に囲まれるように突き出たこの土地を、区切るように貫通している現在の
静岡県道64号『島田川根線』は まだ影も形もありません。
伊久美川のやや北側(写真上側)に見える集落は、現在の住所で言うと
島田市身成。
古くは
志太郡伊久身村に属していたこの
川口地区は、
昭和30(1955)年に島田市に編入されました。(詳しくは
FileNo.S02:駿府鉄道株式会社を参照)
この川口地区から西に飛び出て、山の形をなぞる様に隣の
鍋島地区へ続いていく道が この時代の
島田川根線です。
ご覧の通り、まあ過酷な道のり…。
現在では
新鍋島・松ヶ瀬・丹原の3連トンネルによって交通の便は改善されています。
このあたりの道路事情については、
FileNo.011:万世橋の中の【大井川総合計画】について、や
FileNo.M03:松ヶ瀬連絡道などでも少し触れています。
伊久美川を渡る
【川口橋】は旧橋のはずですが、詳細は不明。
現行橋よりも短く、低い位置に架かっていたようですね。
そこから西へ、森を回り込むように未舗装の道路が見えます。
現在の宿泊棟がある場所には何らかの建物と広場がありますが、何でしょうか?
その南側に広がっているのは おそらく水田。
現在のテニスコートや中部電力の設備、ソーラーパネルなどがあるあたりには いくつかの建物が見えますね。
川を挟んだ対岸にあるのが、
中部電力 川口発電所。
昭和35(1960)年11月から運用されています。
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国土地理院航空写真より
次は
昭和49(1974)年6月1日の写真。
この頃から様相は一変します。
昭和29(1954)年創業の
大河原組(現:大河原建設株式会社)が
昭和47(1972)年に ここ川口採石場を購入。
山側が大きく削り取られ、ほぼ原形をとどめない状態となりました。
この時に山が切り離された格好になったわけで、
「山、誕生」です。
しかし山は分断されたものの、その道は民間企業の所有地であり一般には解放されていなかったと思われます。
島田川根線は、従来の
「森を迂回するルート」のはず。
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国土地理院航空写真より
昭和51(1976)年10月版では、カラー写真になりました。
状況的にはあまり変わっていないようですが、カラーになった事で この森をぐるりと回り込んでいる道路が
舗装済みである事がわかります。
と同時に、山を分断した採石場の構内道路は未舗装であること、どう見ても一般には解放されていない事も。
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国土地理院航空写真より
そして
昭和58(1983)年11月14日の写真。
遂に
県道64号島田川根線が整備されました。
この時には まだ野外活動センターや宿泊棟、及びそれらに付随する設備は無く、森を周りこむ旧道が残っていますね。
ただし、山の1/3ほどがさらに削り取られ、平地が確保されているように見えます。
既にこの頃には
【島田市野外活動センター 山の家】の建設計画があったのでしょうか?
正直なところ、この施設が いつ開所したのか、把握できていないのです…。
伊久美川を渡る
川口橋は、この前年の
昭和57(1982)年12月に竣功しています。
同時に大井川上流方向へ向かう新たな道が整備され、上述の
3連トンネルを経て丹原地区へ抜けられるようになりました。
しかし実際には この3連トンネルは同時に開通したわけではなく、
昭和57(1982)年6月に新鍋島トンネルが竣工した後、
松ヶ瀬トンネル:平成9(1997)年9月、丹原トンネル:平成11(1999)年2月と、およそ15年も間が開きました。
そのため 後の二つのトンネルが開通するまでは、新道と旧道を出たり入ったりする半端な期間があったようです。
[現在]
[昭和後期〜平成前期]
[昭和前期]
この区間を通過するルートを赤色で示してみました。(あくまでイメージ図ですけど)
下の青文字をクリックすると、年代が切り替わります。
とまあそんなわけで、
次回は現地調査編!
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