95.9km、6時間の大激走!

榛原郡縦走大駅伝競走

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第5話 上手くいくことがいとは限らない。


*** 注 ***
ここからは 入手した情報と当時の航空写真を擦り合わせて、実際に走ったと思われるコースを推定していきます。
但し これはあくまで予想であり、正確なルートを示すものではありません。
情報をお持ちの場合は、ぜひご一報ください。
また同時に、実際のレース展開やコースの解説などを加えてみますので、現在の道路状況と見比べたり昔を思い出すなどしてお楽しみください。
航空写真は昭和37(1962)年〜41(1966)年のものを利用しています。
各コース図は拡大版を用意してありますが、サイズが大きいのでご注意ください。
パソコンやタブレットなど、大きい画面のほうがより楽しめるかと思います。
レース展開については、静岡新聞の【レース評】と、第1日目についてのみ詳細な記載のあった広報かわねを参考にしています。
文中の単語や言い回しについては、当時の記事を できる限りそのまま使用しています。
着順タイムについては静岡新聞、及び広報中川根に記載のものを採用しています。



2日目
第9区
金谷宮崎橋〜切山小学校前



第9区 金谷宮崎橋〜切山小学校前 Click!
国土地理院地図 航空写真より
大きいサイズはこちらから。

レース展開

第2日目はコースによく馴れている南部勢が最初から圧倒的な強みを発揮。
中でも優勝を争う榛原、吉田の熱戦健闘ぶりは終始観衆の手に汗を握らせるものがあった。
2日目最初の区間となる第9区間は7.5kmと長距離であり、牧之原峠を有するヤマ場。
それだけに榛原町はいち早く2位との差を400mと離し、自己ペースで順調に飛ばした。

コース解説

大会もいよいよ2日目となりました。
この日のスタート地点は金谷劇場からほど近い、宮崎橋

宮崎橋周辺
国土地理院地図 航空写真より

なぜ金谷劇場前をそのまま2日目のスタート地点にしなかったのかは分かりません。
おそらく、幹線道路を止めて横切るのが難しかったからでは?と推測します。

宮崎橋 Click!
GoogleMapストリートビューより

現在は信号機や街灯が建てられ 肩身の狭い思いをしているこの橋ですが、昭和4年12月竣功という歴史ある橋。
実際に近くで見てみると、銘板の文字など判別できないレベルで風化が進んでいます。
自分も現地で様々な角度から写真を撮ってみましたが、結局ストビューのが一番見やすかったと言う不甲斐ない結果に…。

スタート直後に右に折れた一団は、金谷の駅前通りを国鉄東海道線金谷駅に向かって駆け上がります。

国鉄東海道線金谷駅周辺
国土地理院地図 航空写真より

この先しばらくは、牧之原台地へ登っていく心臓破りの急坂続き。
当日は天気も良かったようなので、大井川から富士山に至るまでの絶景が拝めた…はずですが、選手達にはそんな余裕は無かったでしょう。

ところで、各広報誌のうち川根町御前崎町のものだけは同町の出場選手一覧が掲載されていました。
それを見ると、川根町では2人、御前崎町では4人の選手が1日目と2日目の両日、出走していたようです。
当初のルールでは一人だけが許されていたはずですが、どこも選手集めに苦労したのか、改正されたのかもしれません。

さて牧之原台地に上がり平坦区間に差し掛かったルートは猪土居地区で左に折れ、中継地点へと向かいます。

切山周辺
国土地理院地図 航空写真より

前半とは一転して、急激な下り坂。
ヘアピンカーブの連続する切山地区へと進みます。
ここから舞台は榛原町へ。

切山小学校周辺
国土地理院地図 航空写真より

ゴールを目前に控えたところで交差しているのは東海道新幹線
大会前日の10月1日に開業したばかりです。
トンネルとトンネルの間を一瞬で通過していく夢の高速鉄道は、当時の人々の目にどのように映ったのでしょうか。

中継地点の切山小学校は、明治25(1892)年切山小学校分校として開校。
時代の流れに沿って切山尋常小学校勝間田小学校分校とその名を変えながら、昭和32(1957)年組合立切山小学校となりました。
(これは切山地区が金谷町に編入されたため、らしいのですが、実はまだ調査中。
情報によると上述の東海道新幹線の少し北側あたりに本来の境界線があるはずなんですが…。)
その後 昭和44(1969)年に廃校となり、現在その跡地にはソーラーパネルが並んでいます。



第10区
切山小学校前〜坂部小学校前



第10区 切山小学校前〜坂部小学校前 Click!
国土地理院地図 航空写真より
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レース展開

詳細不明

コース解説

いきなりのレース展開にガッカリされたかと思いますが…。
困ったことに、頼みの綱の広報かわねが2日目の実況にえらく消極的でして…。
2日目の全8区間についてを、1日目の1区間分くらいの文章量でギュッとまとめて表記しているのです。
このため、ここから先のレース展開については極端に少なくなりますが、ご了承ください。
ついでに書くと、ここから先のコース解説もやや減少していきます。
土地勘のない自分にはやっぱり難しかった…。

さて、しばらくは平坦なルートが続きます。
田園地帯の間を進むこの区間は、かなり前方まで見渡せたはずです。

地蔵隧道周辺
国土地理院地図 航空写真より

半分を超えたあたり(現在の白山神社南交差点)で左に曲がり、ちょっとした峠越えに向かいます。
峠の頂点で選手達を迎えるのは、昭和36(1961)年竣功の地蔵隧道
これを潜り、その先の中継地点、坂部小学校前へ!



第11区
坂部小学校前〜自彊小学校前



第11区 坂部小学校前〜自彊小学校前 Click!
国土地理院地図 航空写真より
大きいサイズはこちらから。

レース展開

心配された風も全くなく、絶好の駅伝ひより。
1位は依然、榛原町。
激しく追い上げる吉田町はトップにぴったりと食いつき、第11区ではその差150mとする。

コース解説

坂部小学校周辺
国土地理院地図 航空写真より

前区との中継地点である坂部小学校前ですが、写真で見てわかるように坂部小学校は街道からやや奥まった位置。
『前』という書き方がどこまで許されるのか分かりませんが、おそらくここだろう、という位置にしてあります。

出発した第11走者は、田園の中を突っ切るように東へ向かいます。

坂口谷川周辺
国土地理院地図 航空写真より

坂口谷川を渡った後は心臓破りの急坂を越え、吉田町神戸(かんど)地区に入っていきます。
ここは現在の東名高速道路と交差する地点にあたるわけですが、当時はまだ建設計画やそれに伴う法整備の真っ最中。
実際の開通は、昭和44(1969)年2月まで待たなければなりません。

自彊小学校周辺
国土地理院地図 航空写真より

下り坂を走り切って湯日川を越えれば、次の中継地点、自彊小学校(じきょうしょうがっこう)です。


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