95.9km、6時間の大激走!

榛原郡縦走大駅伝競走

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第6話 褐色の指がタスキを掴んだ。


*** 注 ***
ここからは 入手した情報と当時の航空写真を擦り合わせて、実際に走ったと思われるコースを推定していきます。
但し これはあくまで予想であり、正確なルートを示すものではありません。
情報をお持ちの場合は、ぜひご一報ください。
また同時に、実際のレース展開やコースの解説などを加えてみますので、現在の道路状況と見比べたり昔を思い出すなどしてお楽しみください。
航空写真は昭和37(1962)年〜41(1966)年のものを利用しています。
各コース図は拡大版を用意してありますが、サイズが大きいのでご注意ください。
パソコンやタブレットなど、大きい画面のほうがより楽しめるかと思います。
レース展開については、静岡新聞の【レース評】と、第1日目についてのみ詳細な記載のあった広報かわねを参考にしています。
文中の単語や言い回しについては、当時の記事を できる限りそのまま使用しています。
着順タイムについては静岡新聞、及び広報中川根に記載のものを採用しています。



2日目
第12区
自彊小学校前〜住吉小学校前



第12区 自彊小学校前〜住吉小学校前 Click!
国土地理院地図 航空写真より
大きいサイズはこちらから。

レース展開

詳細不明

コース解説

自彊小学校(じきょうしょうがっこう)をスタートした第12走者は、神戸(かんど)交差点を右折、真っすぐ道なりに南へ。

神戸交差点周辺
国土地理院地図 航空写真より

この交差点を出てすぐの地点で、東から小さな円弧を描いて合流してくるラインが見えると思います。
これが静岡鉄道駿遠線(しずおかてつどうすんえんせん)
かつて静岡県藤枝市から御前崎付近を回って袋井市までを結んでいた、軌間762mmの軽便鉄道
最盛期には全長64.6kmと、日本最長規模を誇る路線になりました。
しかしモータリゼーションの荒波には勝てず、今回の舞台である昭和39(1964)年には一部区間の廃止が始まるなど、その経営状態には既に陰りが見えていたそうです。
昭和45(1970)年7月31日に全廃となり、現在では太平洋岸自転車道(静岡県道375号静岡御前崎自転車道線)としてその痕跡を辿ることができます。

湯日川周辺
国土地理院地図 航空写真より

コースは静鉄駿遠線と並走するように南下。
湯日川を越えたあたりで一旦お別れします。

住吉小学校周辺
国土地理院地図 航空写真より

そのまま街道沿いに進み、現在の焼津榛原線に出たところで右折。
次の中継地点、住吉小学校前に到着です。

写真で白っぽく見えているのは田圃ですが、東側に多く点在している濃い色のエリアは何かと言えば これは皆、養鰻池
つまりはウナギの養殖池です。
大正時代から始まった養鰻業は、この後昭和末期にかけて最盛期を迎えることになります。



第13区
住吉小学校前〜鹿島神社前



第13区 住吉小学校前〜鹿島神社前 Click!
国土地理院地図 航空写真より
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レース展開

順位は不動。
相良町に入る4区間では先頭グループの榛原、吉田 両チームと3位以下は700m近く差が付き、完全に両チームの優勝に絞られた。

コース解説

ほぼ平坦、ほぼ直線のこの区間。
いくつかのルートが考えられるのですが、特定できるような情報は皆無。
ここもまた、区間距離からの推定となりました。

住吉小学校前を出た第13走者は、街道沿いに西に進みます。

坂口谷川周辺
国土地理院地図 航空写真より

途中で坂口谷川を越え、コースは再び榛原町へ。

踏切周辺
国土地理院地図 航空写真より

しばらく町中を進んだ地点で、前区で別れた静鉄駿遠線との交差を迎えます。

鹿島神社周辺
国土地理院地図 航空写真より

その後、勝間田川を越えたところにあるのが次の中継点、鹿島神社です。



第14区
鹿島神社前〜相良製氷前



第14区 鹿島神社前〜相良製氷前 Click!
国土地理院地図 航空写真より
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レース展開

詳細不明

コース解説

鹿島神社前を出発した第14走者は、街道沿いに南下していきます。
直後に相良町入り。
この先は徐々に平地が狭まり、山・コース・駿遠線・海岸線の順でずっと並走していきます。
区間距離は4.7kmと短く、かなりのハイペースだったろうと予想します。

次の中継地点が近づくにつれ さらに平野部は少なくなり、コースは駿遠線のすぐ横を通るくらいにまで近づきます。

相良橋周辺
国土地理院地図 航空写真より

萩間川を渡る直前で駿遠線は内陸方向に向かうため交差。
コースはそのまま直進し、昭和31(1956)年竣功の相良橋を渡ってすぐに右折します。

相良製氷周辺
国土地理院地図 航空写真より

次の中継地点、相良製氷前に到着です。

この中継地点になっている相良製氷という名称、これがどうにも情報を得ることができませんで…。
行き詰ったところで牧之原市役所の公式HPにメールを送り、何か情報がないか、ダメもとで問い合わせてみました。
数日後に企画政策部情報交流課の主幹 Y氏から頂いた返信によると、【ふるさと相良 懐かしの写真集】(相良史蹟調査会・平成2(1990)年)という本に、その製氷工場の写真が載っているとのこと。
さっそく図書館でその写真を確認してみると、『レンガ造りの製氷会社』と題された写真が!
説明文を引用してみます。
「昭和45年(1912)4月相良町市場にはじめて「東遠製氷株式会社」(社長、山本平三郎)ができ、後、日本製氷に買収合併され、大正13年練瓦造りの工場が建設された。その後、昭和2年大日本製氷株式会社第25相良工場と社名変更。写真はその当時の情景である。昭和53年新しい工場が漁港敷地に移設されたので、翌年長年親しまれたレンガ造りの建物は姿を消してしまった。」(原文ママ)
どうやらこれで間違いなさそうですが、所在地については記述なし。
しかし新たに得られたキーワードが、『大日本製氷株式会社第25相良工場』
説明文から察するに このレンガ造りの工場は ちょっとしたランドマークのような存在だったのだろうと当たりをつけ、今度は牧之原市観光案内のサイトからメールで建物のあった場所を尋ねてみました。
するとまきのはら活性化センターK氏から返信があり、その位置を教えてくださいました。
古い写真と照らし合わせてみたところ、それらしき建物を発見!
区間距離も まあだいたい合ってるようなので、そこを中継地点と判断しました。


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