現代に続く三弦の橋
万世橋
TOP
第1話
第2話
第3話
第4話
第5話
第6話
第7話
第8話
第9話
第6話 なんの変哲もない、空積みの石垣だった。
今回は
現地再調査編!
歴史調査編で明らかになった
【初代万世橋】が架かっていたであろう場所について、再調査してきました。
それではまず、
元藤川側から行ってみましょう!
再びやってきました、森の入口。
相変わらず、近寄りがたい雰囲気ではありますが…。(
現在地)
入ってやや左を向くような感じに見たのがこちら。
Click!
最初の現地調査で
「明らかに人為的に盛り上げられた土地」がある、と書いたものを正面に見据えた状態。(
現在地)
左手には空積みの台座があり、その上に祠が祀られています。
何が祀られているのかは分かりません。
地元の方にお話でも聞ければよかったのですが…。
で、その
“盛り上げられた土地” (以降、“盛り土地”)が
初代万世橋の橋台なのではないか?という仮説を立てた状態での今回の探索となります。
実際のところ、森の入口から吊橋(仮)へと通じる連絡道のように 一定の幅の道筋のようなものがあり、部分的ながらその両脇に石が連なって置かれているのが確認できました。
ただ、これがそのまま“古い道の跡”だと言い切れるか?と言うと、何とも…。
ともかく、
“盛り土地”に近づいてみましょう。
まずは先端へ向かおうとしましたが、全体的に雑草が生い茂っている上に倒木やらゴミやらがそこら中…。
そこで、比較的 開けている左側(上流側)から回り込んでみることに。
Click!
写真ではどうにも伝えづらいので、大雑把ではありますがクリック後の赤線で補足を入れました。(
現在地)
そしてそこに見えたものは…。
Click!
石 ☆ 垣 !
こちらもモルタルを用いていない空積の石垣。
かなり古い時代のもののようですねぇ。
何にせよ、この盛り土地が
人の手によるものであることが証明されました。
どうやら本来は川の方向に向かって さらに続いていたようですが、先端に向かうにつれて、崩壊が始まっています。
そして問題はクリック後の矢印で示した物体。
…これは…。
Click!
木柱…だと?!(
現在地)
明らかにここに生えていた木ではなく、人為的にここに建てられたもの!
まさかこれは、
初代万世橋の藤川側主塔では…?!
とまあ一瞬は興奮したりしましたが…。
よく見てみれば、「残念ながらその可能性は低い」と言わざるを得ない。
見ての通り、
奇麗すぎるので。
そもそもここは昼間でもほとんど陽が当たらず、通年で湿気の多い場所。
とても明治時代のモノとは思えません。
一つだけ可能性があるとすれば、第3話冒頭でも説明した、年表の
あれ。
証拠不十分により採用を見送った
2件の初代万世橋架け替え記録です。
あの記録が正しければ、
昭和初期にこの万世橋は架け替えされているはず。
その時に建て直された主塔である可能性は捨てきれない!
…捨てきれないけど…それでも無理があるかな…。
環境的に見て、もっと朽ちていて然るべきだと感じた次第です。
とにかく、ここを回り込んで
盛り土地先端に立ってみましょう。
Click!
しっかりと堤のような地形をしています。(
現在地)
さらに先端に向かいましょう。
先端に立って下を覗き込んだ状態。(
現在地)
写真が下手だな…。
平らなように見えてしまいますが、それなりの急斜面になっています。
左の足元にも石積みが見られますね。
まっすぐ正面を見て徳山側の袂を確認しようとしましたが、濃い森の木々に遮られて何も見えず。
単独調査だと、こういった局面では限界があります。
お次は真横から見て、全容を把握したいところ。
強引に横の斜面を下って、盛り土地の側面から(上流側から)観察します。
斜面を下る途中、石を
円柱状に組んだものを発見。
どうやらモルタルによる裏込めが成されており、今調べている盛り土地とは年代が違うようですが、これは一体…?!
Click!
さてさて、盛り土地の側面に回り込んでみたものの、背後は竹藪。(
現在地)
これ以上距離が取れず、引いた状態の写真を撮れなかったので数枚の写真を強引に合成しています。
ところどころに石積みの形跡が見られますが、崩壊が進んでおり「当時の形そのまま」とはいかないようです。
この後、盛り土地の正面(大井川側)からも確認したところ、
『ハの字・台形』と言える形状をしていました。
まさに
【堤】という表現がピッタリ。
自分はこれ、
初代万世橋の橋台で間違いないと考えていますが…。
当時の写真でもあれば答え合わせができるのですが、果たして?
では次に
徳山側の遺構探しに!
大体の見当をつけて、そのあたりを重点的に探索してみます。
とは言え、立地的に考えても何か残っている可能性は低い…。
そもそも位置がハッキリしていないので、「何か見つかったらラッキー」くらいの気持ちでひたすら周辺をうろつくしか方法がありません。
あるとすれば、おそらく町道より下。
移動を繰り返しつつ、町道から大井川の方を覗き込んでみます。
写真では全然伝わらないのが もどかしい所ですが、ここはほぼ
崖 です。(
現在地)
首尾よく遺構を発見できれば記事的にも盛り上がるのですが、覗き込んだところで何も無し。
「橋台のような形でも感じられれば」とも思いましたが、無いものは無い。
あ…。
Click!
何かあった。
遠目に見る分には、
“コンクリート構造物の角”のように見えますが…。
とりあえずは初代橋に関連するような物ではなさそう。
位置的に見て、おそらく
【耐風索アンカレイジ跡】とか?
絶壁の中腹ではありますが、とにかく近づいてみるしかない。
少しだけ装備を整え、アプローチできそうな場所から突撃します。
たぶんあの辺のはず。(
現在地)
Click!
で、何事もなく無事に着きました。
コンクリート構造物上に。
ん〜、なんだこれ?
ここから真下を覗いた写真がこれ。
伝わらないと思いますが、川面まではなかなかの高さです。
横(下流側)を見ると、石垣がありました。
どうやらこれが、最初の調査時に
対岸から見えた石垣らしい。
Click!
で、肝心のコンクリート構造物ですが…。
クリック後の写真に示した水色線が、おおまかな大井川の流れ。
赤色線がコンクリートの面の向きと思ってください。
橋の方(下流方向)に向かって、大井川に対してやや斜めにこの面を向けているのが分かります。
角度的に考えるなら、
【2・3代目万世橋の耐風索アンカレイジ跡】っぽいんですが…。
アレがない。
下泉橋でも確認した、アレ。
Click!
(写真は下泉橋のもの)
ワイヤーをカットした跡がない。
何の形跡もなく、のっぺりしているんですよねー、面が。
そんな事ってあるのか…?
結局のところ、これが何なのかわからずじまい。
下から全体を眺めればもう少しわかる事もあるのでしょうが…。
現時点での断定はできませんでした。
川の水が減った頃に、また来るしかありませんねぇ。
これにて撤収〜。
さてさて、今回は
【万世橋】の歴史についてなんとか追いかけてみたわけですが、如何だったでしょうか?
目立った遺構と言えば
徳山側の旧主塔だけ、という状態から始まった今回の物件ですが、なかなか面白い橋でありました。
まだまだ謎の多いこの橋について、何か情報をお持ちでしたらご連絡ください!
名所File No.11
万世橋
営業時間:年中無休
所在地:静岡県榛原郡川根本町
交通アクセス:川根本町町営バス JA中川根支店前より 徒歩3分