現代に続く三弦の橋
万世橋
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第7話 三角形で描ける天使がある。
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【雲名橋】
静岡県浜松市天竜区 西雲名と東雲名を結ぶ、
昭和63年3月竣工の鋼トラスド下路式ランガー桁橋。
製造はあの
三井造船株式会社(現:株式会社三井E&S)。
天竜二俣から国道362・152・473号線等を北上し、
秋葉山本宮 秋葉神社 上社へ参拝する際に渡る橋です。
対の巨大な石灯籠と共に、威厳を持って参拝者を迎えています。
と言うわけで、今回の舞台はなんと!
天 竜 川 !
あ、大丈夫ですよ、安心してください。
現在ご覧になっているサイトは
【勝手に大井川】で間違いないです。
今がどんな状況なのか 念のためおさらいしておくと
「3代目万世橋の在りし日の姿を求めて はるばる天竜川までやってきた。」
という事になるわけですが、今回の目的地は この
【雲名橋】ではありません。
ここから
南へ約500m、 横山トンネルの手前にある交差点を左に。
さらにそこから下へ向かっていく細い道の先に、
お目当ての橋があります。
実はその橋は
3代目万世橋と同様、
3弦トラス構造を擁した吊橋だと言うのです。
とは言え 3弦トラスの吊橋を見るだけなら、それこそ同じ大井川水系の
【井川大橋】へ向かうべき。
わざわざ
天竜川まで行かなくても…と思われるでしょう。
しかし今回 自分には、どうしてもこの天竜川に架かる橋を
直接見に来なければならない理由がありました。
それは、
昭和60(1985)年に発行された
【静岡県の土木史】(五月会)という およそ1500ページにわたる大著に書かれていた、
万世橋についての説明文。
その説明文の中に、衝撃的な内容が書かれていたのです。
それでは、
【静岡県の土木史】に載っていた一文と共に、この橋の姿をご覧頂きましょう!
大きいサイズはこちらから。
【秋葉橋】
「(万世橋は)昭和30年にステフニングトラスを鋼三角断面トラスとして町で架替している。橋長は213.5mであった。この鋼三角トラスは其の後 天竜川の雲名の吊橋に再利用され 今でも使用されている。」(静岡県の土木史より)
もう一度、書いておきます。
「天竜川の雲名の吊橋に再利用され 今でも使用されている。」
なんとこの橋は
同じ構造というレベルを超え、
3代目万世橋そのものだと言うのです。
(注:主塔まで再利用しているわけではありませんが。)
もちろん ここに書かれた「今でも」というのは 発行された昭和60年当時の“今”だったわけですが、令和5年現在でも現役で天竜川を渡っています。
大井川中・上流域は古くから東西との結びつきが強かった事、秋葉街道として人々の往来が盛んだった事、などはこのサイトでも再三述べていますが、一体どういった経緯で移築に至ったのか?
また、いつ頃 移築されたのか?
この地域の行政区域を調べてみると、
昭和40年代には
【天竜市】(現:浜松市天竜区)に属していたようです。
そこで
【天竜市史 下巻】(天竜市役所・1988)を当たってみたのですが…。
見落としがあるのか、
秋葉橋についての記述は見つからず。
次に
【天竜市歴史年表 下】(天竜市・1990)という資料で探してみると…
あった!
「昭和46(1971)年3月に、秋葉橋(雲名橋架替)完成する。」
このたった一文だけですが、
完成年が判明したのは大きい。
そして
「秋葉橋(雲名橋架替)」とされている事から、この秋葉橋には“先代”が存在していた事もわかりました。
(但し、なぜ名称を変更したのか?全く同じ場所なのか?など、まだまだ謎は多いです。)
まずは
3代目万世橋がいつ頃まで大井川にいたのか、追ってみます。
とは言え中川根町史には撤去年までは記されていませんでした。
手がかりは
第5話で取り上げた、
『4代目万世橋 開通記念式典』の写真。
ここに
3代目万世橋が写っている事から、
天竜川への移築は昭和43(1968)年5月以降になります。
国土地理院の航空写真で確認してみましょう。
Click!
国土地理院 航空写真より
これは
昭和45(1970)年8月17日に撮影された航空写真。
前話で検証したように2本の橋が平行に架かっていない事から、写っているのは3・4代目橋。
この年には、橋はまだ大井川にあったようです。
お次は天竜川へ。
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国土地理院 航空写真より
少し時間を遡って、
昭和42(1967)年8月17日に撮影された航空写真。
この時には まだ橋は大井川に架かっていたので、これは先代の【秋葉橋】という事になります。
どうやら、全く同じ場所に架かっていたようですね。
【(新)雲名橋】も、【横山トンネル】もまだない頃。
天竜川・気田川の両岸を通っている道筋が 如何に厳しいものであったか、よくわかります。
Click!
国土地理院 航空写真より
こちらは
昭和45(1970)年6月7日に撮影されたもの。
この時はまだ大井川に架かっていたのは、既に見た通り。
これもまた先代の【秋葉橋】という事になりますね。
少なくとも落橋や流失などはしていないようです。
これらを総合すると、大井川から天竜川への移築は
昭和45(1970)年9月頃から昭和46(1971)年3月までの間に行われた、と考えられます。
しかし残念ながら、現時点で入手できている情報はこれだけ。
やはり現地、
[ 天竜市の図書館・資料館 ]に行かないと、より詳しい内容は掴めそうにありません。
今後も調査を続けてみます。
*** 追記 ***
ようやく、具体的な情報に辿り着く事ができました。
昭和45(1970)年12月10日付の
『広報てんりゅう No.119』 の中に、秋葉橋の架け替えについてのお知らせが掲載されていたのです。
少し長くなりますが、記事を引用してみます。
「秋葉橋が生れかわる
市内の東雲名と西雲名を結ぶ秋葉橋(吊橋)は、損傷が甚しいため歩行者だけの橋となっておりましたが、この程架替工事が行われることになりました。この度お見えする橋は、橋体の一部を榛原郡中川根町藤川地内の大井川に架設されている万世橋を、買受け秋葉橋として架設します 工事は、万世橋の解体運搬を十二月上旬より着工し、一月中には秋葉橋を解体、架設工事が二月上旬から開始され、三月末には完成いたします。なお工事者は(株)熊谷組で総事業費は一千六百万円です。」(原文ママ)
そしてなんと!
記事中には万世橋の紹介写真も掲載されていました!
それがこちら!
広報てんりゅう No.119より
とても貴重な、藤川側からの写真!
…。
…だと自分は思うんですけどね…。
さすがにこの画質では、どちらから撮影したものか断定するのはちょっと…。
何にせよ、この向きの写真は初めて見ますよ。
さて、記事中では
「橋体の一部を買受け」となっています。
この後の現地調査編でも写真を載せますが、主塔は完全に新規(あるいは先代の秋葉橋のものを再利用?)のため、全ての部材を転用してはいない事は判明しています。
他にも、消耗している部品やワイヤーなどを新調した可能性もありますね。
そして移設の時期について。
・昭和45(1970)年12月上旬 万世橋解体・運搬開始
・昭和46(1971)年 1月 秋葉橋解体
・同年 2月上旬 秋葉橋架設工事開始
・同年 3月末 秋葉橋完成
と、このような工程が組まれていたようです。
上述のように
「3月に架け替え工事完了」と別紙にも記録されている事から、おおよそこの通りに進んだのでしょう。
あとは
「どういった経緯で万世橋を買受ける話になったのか」が分かれば完璧なんですけどね。
昭和43(1968)年には4代目万世橋が竣功していたので、3代目万世橋は既に引退済みのはず。
そのまま通行禁止措置が取られていたのか、もしかして歩道橋としての余生を送っていたのか?
調査は続行となりそうですが…。
実のところ、
『広報てんりゅう』から追えたのはこの記事のみ。
架け替え完了後に発行された広報誌には、秋葉橋についての記事を発見する事はできませんでした。
『広報てんりゅう』は、
天竜図書館で閲覧できますよ。
*** 追記終わり ***
そんなわけで次回は、
【秋葉橋】現地調査編!
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