現代に続く三弦の橋

万世橋

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第1話 失われた主塔の上に、少年(きみ)の名を書く。


国道362号線上にある、川根本町徳山元藤川を結ぶ橋。

万世橋
国土地理院地図より

【 万世橋(まんせいばし) 】

こちらが、今回ご紹介する物件となります。
一体、どのような歴史を持った橋なのか?
今回は珍しく、現地調査編からお送りしていきますよ。

注:今回のレポートでは、【 FileNo09 下泉橋 】と比較検証する箇所が多くあります。
  両者はいくつもの共通した特徴を持っているためです。
  可能であれば、先に【 下泉橋 】のレポートを一度読んでおくと より楽しめるかと思います。

万世橋

そんなわけでやってきました、万世橋

この写真に写っているのが、 現在の万世橋歩道橋
もちろんいずれも現役の橋ですが、架設年は違っています。

まずは自動車道である万世橋そのものから見ていきます。

万世橋

橋梁史年表の情報によると、橋長は213.4m幅員は6mの連続プレートガーダー橋となっています。

万世橋

左岸(東岸)下流側親柱。

【まんせいはし】

丸みを帯びた意匠が特徴的な親柱です。
平仮名で橋名板に陽刻されている事から、こちらは出口側ですね。
こういった銘板のフチに塗られている金色?っぽいのって、特殊な塗料か何かなんですかね?
下泉橋の反射板デコレーションとどっちが良いかな…。

万世橋

左岸上流側親柱。

【昭和43年3月竣功】 (昭和43年は1968年)

現行橋の竣功年がハッキリしましたね。
これらの情報は、次の歴史調査編で検証していく予定です。

続いて、歩道橋も見ていきましょうか。

万世橋歩道橋

こちらが歩道橋。
ご覧のように入り口には車止めが設置され、軽車両しか入っていけないようになっています。

万世橋歩道橋

左岸(東岸)下流側親柱。

【萬世橋歩道橋】

なんと、先程と違って歩道橋はこちら側が起点。
しかも旧字体の【萬】になっています。
どんな理由によるものでしょうか?

この近くの足元には橋の詳細な情報を示した橋歴板があるのですが、写真を撮り忘れ…。
大失態です。

万世橋歩道橋

左岸上流側親柱。

【昭和63年2月完成】 (昭和63年は1988年)

この歩道橋は、道路橋の20年後に架けられたようです。

下泉橋の時にも思いましたが、『竣功』ではなく『完成』と書かれているのはなぜなのか?
軽く調べてみると、『竣功』『完成』の意味に大きな違いはないのだそう。
ただ、『竣功』が建物などの建設が完了した時に使われるのに対して、『完成』は全体が出来上がった時など、もっと広い意味で使われる言葉との事。
これを橋に当てはめて考えてみると、先に道路橋が『竣功』して、後から歩道橋も『竣功』して、両方合わせて橋が『完成』した、という流れなのかなあと勝手に予想。

これまで調査した橋を見ると、歩道橋の無い境川橋『竣功』
最初から道路橋に歩道部分を設けている昭和橋もまた『竣功』でした。

ちなみに、『竣『竣はほぼ同じと捉えられているようで、現代では『竣工』の方が一般的との事。
比較的新しく架けられた橋は歩道(橋)の有る無しに関わらず『完成』又は『竣工』となっている場合が多いようです。

万世橋

道路橋と歩道橋は、10m程の間隔をあけて並行して架かっています。
下泉橋も歩道橋(側道橋)が後年に架けられたわけですが、橋桁が道路橋と一体になっていました。(架設時に側道橋の分だけ延長したようですが、詳細は不明)
こちらは完全に別の橋となっています。

さて、このすぐ横にはとても大事な物があるのですが、それは一旦置いておいて、先に元藤川側(右岸・西岸)の調査をします。

万世橋

大井川を渡って、元藤川側からの眺め。

万世橋

そしてこれが右岸上流側の親柱。
これ自体のデザインは左岸の物と同じようです。
そして橋の名前が漢字で

【萬世橋】

かっこええです。
こちらが起点で間違いないですね。
ここに【萬世橋】と記されている以上はこれが正式名称なのだと思いますが、字体の新旧はどのように使い分けられるのでしょうかね?登録上とか。
どっちでもいいのかな?
思えば、先に確認してきた歩道橋が【萬】の字を使っていたのは、当然ですね。

(注:このサイトでは、世橋】で統一しています。)

ここで何気なく橋の側面(上流側)を覗き込んだところ…

万世橋
拡大

橋歴板発見!

石材に掘られたものを、モルタルで埋め込んであるようです。

これによると、橋長が213.35m幅員は6m
橋梁史年表のデータと相違ないですね。
竣工は昭和43(1968)年3月。
これも親柱に刻まれている通り。
施工は、上部構造が 日本鋼管株式会社(現:JFEホールディングス株式会社)、下部構造が鹿島(かじま)建設株式会社となっています。

万世橋

道路上に戻って、これが右岸下流側の親柱。
竣功年が書かれていますが左岸側と同一ですね。



続いて、歩道橋へ向かいます

万世橋歩道橋 Click!

唐突に2匹のリスがお出迎え。
何か謂れがあるんでしょうかね?

万世橋歩道橋

こちらが右岸上流側親柱。

【まんせいばしほどうきょう】

昭和橋 第2話の冒頭でも書きましたが「川が濁らないように」という願いを込めて、橋名板に記される名前は「○○はし」と濁点を付けない慣習があるようです。
それに倣ってか道路橋の方の銘板は「まんせいはし」とされていたわけですが、ここでは「ばし」になっていますね。
これは歩道橋であるが故なのか、架けられた年代によって違うのか?

万世橋歩道橋

右岸下流側の親柱。
これもまた左岸側のものと同じでした。

万世橋歩道橋
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この右岸下流側の橋の側面には、味わいのある手書き文字によって塗装の詳細な情報が示されていました。
ここでも、日本鋼管株式会社 の名が見られます。



少し脱線しますが、大井川に架かる橋をいくつか見てきた事で 橋名板の決まりのようなものが分かってきました。

大井川の橋についての決まり

どこに何を書くかは厳密な決まりがあるわけではなく、それぞれの自治体や発注者によって定められているようです。
ここまで調査してきた大井川水系の橋は上図の規定に従って書かれていました。(もっと探せば例外もあるかもしれませんが。)
また建設された年代によっても規定が違っているはずなので、今後の調査における一つの手がかりになるかも。
中でも橋歴板は、昭和59(1984)年旧建設省が設置する事を原則とするよう定めたものらしく、今後はしっかりチェックする必要がありそうです。




さてさて。
これで現代の橋については一通り見た(と思う)ので、次回はいよいよアレを見に行きます。







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