現代に続く三弦の橋
万世橋
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第4話 見知らぬ橋の話を聞くのが病的に好きだった。
今回は歴史調査・中編!
3代目についての調査報告になります。
改めて、現時点で得られている情報から作った暫定年表を。
[1] 明治41(1908)年:初代橋 架設
[?] 大正??(****)年:架け替え?
[?] 昭和??(****)年:架け替え?
[2] 昭和24(1949)年:2代目橋 竣功
[3] 昭和30(1955)年:3代目橋 竣功
[4] 昭和43(1968)年:4代目橋 竣功
[5] 昭和63(1988)年:歩道橋 完成
今回はこの中の
[3] についてです。
[3] 昭和30(1955)年:3代目橋 竣功
前話の“2代目橋”の時にも取り上げましたが、
【中川根町史】からもう一度引用してみます。
「一九五〇年代に入ると、大井川鉄道貨物の運輸は急増、組合立中学生徒の通学の利用度も高くなっていた。一九四九年(昭和二四)に下泉、万世両橋は改修されてはいたが、この二橋も含め、一般に中川根・徳山両村を結ぶ橋梁は、通行車・物資運輸において不十分であり、また老朽化したものもあって、改善の必要があった。」
引用した この内容について、少し補足してみます。
・1950年代になって大井川鐵道を利用した物資の輸送が増加した事。
昭和24(1949)年末に大井川鐵道が電化され、輸送力が格段に向上しました。
生活物資の輸送量も増え、また元藤川地区(当時は中川根村藤川)からは 銘品であった
茶や炭が万世橋を通って駿河徳山駅から運ばれていったそうです。
・学生の通学利用度が増えてきた事。
これは第2次大戦後の学校教育が、いわゆる
『6・3制』(小学校6年、中学校3年を義務教育期間とする制度)となって新たに施行されたことが関係しているようです。
徳山側(徳山村)は
昭和22(1947)年5月3日に堀之内に
『徳山村立 徳山中学校』を設置。
そして元藤川側(中川根村)は
同年に
中川根中学校 藤川分校を置いて、なんとか新体制に間に合わせようとしました。
しかし学校を設置したと言っても 旧体制時代の校舎を部分的に借りてのスタートで、設備も充分に整っておらず、教員も常に不足した状態。
教育環境を整えるための経済的負担は重く、村の財政を圧迫していったようです。
こういった状況を打開するため、
昭和24(1949)年頃から
両校の合併への動きが活発化し始めました。
それぞれ自治体が違うため、まず学校組合を設立。
様々な協議を重ねた後、
昭和25(1950)年1月12日に
『徳山村・中川根村学校 組合立 徳山中学校』として新たに開校する流れとなったのです。
この時に新築・改築された校舎や講堂が堀之内にあった事が、(主に元藤川側の)学生達の利用率を高めた一因であったようです。
とまあ こういった要望に応えるため、
万世橋の輸送力を強化する必要があったわけです。
そして3代目万世橋は
昭和30(1955)年7月に工事開始、
同年12月に竣功となりました。
それにしても、2代目橋の架橋から
わずか6年での架け替えというのは、使用期間がかなり短いような気もします。
鉄筋コンクリート製の主塔はそのまま流用するとしても、資金面などの問題はなかったのでしょうか?
ここで思い出されるのは、
FileNo.4 昭和橋の時にも触れた
【大井川総合開発計画】について。
改めて
【中川根町史】の
[県道、町村道などの整備・改修]から引用してみると、
「1953年(昭和28)10月、徳山村長竹中節雄は、静岡県知事斉藤寿夫に対し、大井川総合開発計画に関連し、〜略〜 A大井川東西連絡の昭和橋・万世橋など五橋の整備・強化 〜略〜 などを陳情している。当時、大井川東西を結ぶ連絡橋は、県道に位置する下泉橋を除いて、町村組合道であり、林道は町村森林組合道であった。架橋建設や林道開削には莫大な経費が必要であった。55年12月に万世橋、〜略〜 などが建設・開削されているが、これらの経費は町村だけで賄いきれるものではなく、県費補助(四〜六割)を受けての工事であった。」
この通り、3代目万世橋の建設は その総工費のおよそ4割が県からの補助だった事が記されていました。
(この【大井川総合開発計画】については、次話でなんとかまとめてみたいと思います。)
さてさて、そんな流れで架設された
3代目万世橋ですが、いったいどんな橋だったのか?
とにかく見ていただきましょう。
3代目万世橋の勇姿を!
静岡県の土木史より
上路式逆三弦トラス補剛吊橋!
超かっけぇ!
断面が三角形に見える事から【三弦トラス】とか【三角トラス】と呼ばれる構造。
橋長は213.7m、幅員は2.4mで、
明治28(1895)年創業の
瀧上工業(現:瀧上工業株式会社)が手掛けたそうです。
大雑把な図ではありますが、「おおよそこんな感じ」と捉えてください。
図に示した通り、断面が
下向きの三角形(逆三弦、逆三角)で、その
上側を通る(上路式)橋、という事ですね。
補剛部分は小さな三角形がいくつも組み合わさった形になっており、安定性に優れるという特徴があります。
この構成にするメリットは、何と言っても
鋼材の少なさからくる低コスト・軽量化。
通常のトラス補剛(断面が四角形のもの)に比べて、
少ない材料(=軽量)で ある程度の強度を稼ぐことができるわけですね。
しかし補剛とは言っても、これだけで吊橋全体の強度アップを担っているわけではありません。
吊橋というのは主塔から張られた
主索と
吊索が全ての力を負担し、実際には補剛桁(上図で言うと“床板”から下の部分)は
吊られているだけ。
吊橋における補剛桁の役割は、
床面が歪んだり撓んだりするのを防ぎ 橋全体をより安定させる事、なのだろうと自分は考えています。
長〜〜くて丈夫な一枚板を作るイメージ、と言えば良いでしょうか。
とまあ橋についての専門知識を全く持っていない自分が、様々な資料を頼りに特徴をまとめてみたわけですが…。
これで合ってるのかな…?
詳しい方のご意見、ご指摘など、お待ちしております。
国内において、交通用の橋に三弦トラスを用いた例はそう多くありません。
せっかくなので、
同時期(昭和30年前後)に架けられたものに絞って、順番に追ってみます。
まずは3代目万世橋竣功の2年後、
昭和32(1957)年3月に架設された橋。
吊橋ではないのですが、三弦構造を採用した例としてあまりにも有名な、
「大夕張森林鉄道 夕張岳線 第1号橋梁」です。
(以降、「第1号橋梁」とします)→(Google画像検索)
これは北海道夕張市のシューパロ湖に架かる旧森林鉄道の鉄道橋。
リンク先の写真を見て頂くと分かるように こちらは
下路式(必然的に上向きの三角形になる)であり、三角形の中を鉄道が通る構造となっています。
全長381.8mという長大な橋で、その美しい外観や希少さも相俟って多くの写真に収められてきました。
しかし残念ながら現在では夕張シューパロダムの底に沈んでおり、余程の渇水状態でない限り見ることはできません。
【大夕張地区における森林鉄道橋梁の特徴と評価に関する研究】(進藤義郎、今尚之、原口征人、佐藤馨一・1999/5)
という論文には、この橋が三弦トラス構造を採用した理由について、次の3点であると書かれています。
(1)使用鋼材量を減らし、建設コストを下げることができる。
(2)安定性の高い構造とすることができる。
(3)周辺の景観を損ねない構造的意匠を持たせる。
(1)(2)については上の方で書いた通り。
(3)は 「ダム湖であるシューパロ湖完成後、借景となる夕張岳の眺望を壊さず、周辺環境にとけ込む構造」として選ばれた、とされています。
で、この橋については より詳しく書かれたサイトが沢山あるので ぜひそちらを参照して頂くとして、抑えておきたい
重要なポイントが一つ。
それは、この橋の上部構造(橋脚以外の部分)の建設に携わったのが
【株式会社 東京鐡骨橋梁製作所】(現:日本ファブテック株式会社)であるという点です。
この社名は後で出てきますので、覚えておいてください。
次は、同年の9月に架設された
【井川大橋】です。
河童倶楽部様より
同じ大井川水系の井川湖に架かるこの橋もまた逆三弦トラス補剛吊橋で、自動車が通行可能な現役の橋です。
ただし、
2tまでという車重制限があります。
3代目万世橋との構造上の大きな違いは、
垂直材が一つ飛びになっている点でしょうか。
また、先の図には無かった
“繋板”(ガセット、ガセットプレート)を描き込んでみましたが、万世橋に無かったわけではありません。
あのモノクロ写真では そこまで見えなかったので、残念ながら省略せざるを得ませんでした。
井川大橋は
橋長258メートル、全幅2.5メートルの吊橋で、製造会社は
『東京鉄骨橋梁株式会社』。
そう、先述の
第1号橋梁と同じ会社によるものなのです
しかも井川大橋が
9月竣功なのに対し、あの第1号橋梁は
3月竣功と、わずか半年違い。
鋼橋と吊橋の違いはあるにせよ、遠く離れた地に架けられたこの2つの橋は
姉妹橋と言って差し支えないでしょう。
次に紹介するのは
昭和33(1958)年竣工の
川原平橋
→(Google画像検索)
青森県西目屋村の藤木川にごく最近まで架かっていた道路橋ですが…。
残念ながら津軽ダムに水没するという理由から、既に解体され現存しないようです。
この橋は世にも珍しい、
上路逆三弦トラス式コンクリート橋の
鉄筋材として三角補剛の一面を用いている例です。
床材と書かれている部分はコンクリートで、上弦材と横綾材はそれに包まれているため、あくまで想像の域を出ません。
こちらも垂直材は一つ飛ばしになっていますね。
橋長は65.2m、幅員は2mと小ぶりで、
川田工業(現:川田工業株式会社)によって架設されました。
実はこの橋の存在を初めて知ったのは、廃道マニアの間では超有名なサイト
【山さ行がねが】のレポートを読んだ時でした。
詳細は、ぜひ
そちらのサイトをご覧ください!
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
【山さ行がねが】とは
自分が敬愛してやまないWEBサイト。
運営者は平沼義之氏で、読む者の想像を軽く超える探索行と徹底した机上調査により裏打ちされたレポートの数々は、多くのファンを惹きつけて離さない。
大井川流域に住む者ならば、
【千頭森林鉄道】を辿る壮大なレポは外せないだろう。
何を隠そう、我がサイトも多分に氏の影響を受けまくっている。もちろん質・量共に足元にも及ばないが…。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お次は
昭和34(1959)年1月竣工の
高丸橋
GoogleMap ストリートビューより
愛媛県西予市の黒瀬川に架かる吊橋で、初期は木床だったようですが改修により現在はグレーチングの床板になっています。
橋長は101.6m、幅員は3.5mの道路橋。
袂にある看板によると、車重制限は2tのようです。
そして製造元はなんと、あの戦艦大和を造った
【(株)呉造船所】(現:ジャパン マリンユナイテッド)
特徴的なのは、
垂直材が全く無い事。
その分、吊索の間隔も広くなっているようです。
最後に、
昭和35(1960)年5月竣功の
【旧・川津大橋】
奈良県の十津川に架かる吊橋です。
河童倶楽部様より
親柱(先代橋のもの?)の上に支承(及び主塔)が乗っているのが衝撃的!
株式会社 宮地鉄工所(現:宮地エンジニアリング株式会社)の建設で、、
橋長は177.6m。
残念ながら既に廃橋となっており、渡ることはできません。
こちらの橋も、垂直材がありませんね。
で、残念ながら直接この目で見たわけではないので写真からの判断になりますが、斜材が丸いパイプで組まれているようです。
さらに興味深い事に、他の橋の車重制限が2tまでだったのに比べて、こちらは
6tまでOK。
構造材はむしろ少ないわけですが、一番の要因は何なのでしょうかね?
さて、ここまで三弦トラスを用いた昭和30年代の橋をいくつか見てきましたが、これより古いものは国内にあったのか?
必然的に「何かしら記録が残っている橋」という条件が付いてしまうわけですが、現時点では
まだ見つける事ができていません。
つまり
3代目万世橋は、『国内最古の三弦トラスを用いた橋』(注:当サイト調べ)、という事になります。
当時、国内では
「他に例を見ない」状態だったわけです。
で、あれば。
「他の橋の設計者は、3代目万世橋を実際に見に来たのではないか?」
「どこかしら参考にした部分があるのではないか?」
とまあ、そんな妄想が自然と湧いて来てしまうわけです。
そんな理由もあって、ここまで紹介してきた橋に
何か共通点はないか?と簡易的な構造図まで描いてみたわけですが…。
ご覧のとおり
構造も施工会社もバラバラ。
3代目万世橋との繋がりを示す“何か”など、カケラも見えてきません。
今後、もうちょっと探ってみる予定ではありますが…どうなるかな…。
さて、この三角形状で構成された橋ですが、実は身近なところでよく目にする事ができます。
それは、
水道橋。(水路橋、水管橋と呼ぶ場合もあり。)
GoogleMap ストリートビューより
上:焼津市八楠と大覚寺を結ぶあかつき橋に並行して架かる水道橋
下:掛川市成滝と逆川を結ぶ水道橋
どちらも下向きの三角形で構成されている水道橋で、一番下(下弦材)を中空パイプにして水を通しているようです。
GoogleMap ストリートビューより
上:掛川市成滝と逆川を結ぶ水道橋
下:島田市の伊太谷川に架かる水道橋
こちらは先の写真の逆で、上向きの三角形。
下側に位置する2本のパイプ(下弦材)の中を通しています。
GoogleMap ストリートビューより
大津谷川を渡る水道橋。
これは上向きの三角形でありながら、上の一本(上弦材)をパイプとしている例。
GoogleMap ストリートビューより
これは巴川に架かる変わり種。
一つ前の写真と同様の構成ですが 所有者は
【静岡ガス】。
そう、これは
ガス管なのです。
いずれも交通用の橋ではありませんが、
ローコストで軽量かつ中強度を実現するのに適した方法だということがわかります。
とまあ
【三弦トラス補剛】に興奮しすぎてしまったせいで、すっかり長くなりました。
しかし3代目がどんなにカッコいい橋であっても、吊橋は吊橋。
時代は進み、コンクリート製の永久橋を求める声は日増しに大きくなっていったのです。
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