民営森林鉄道の先駆け
智者山軌道
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第7話 伊達が法面を見つめている。
今話は主に現地のレポートになります。
掲載している写真の縁取りが青ならば終点(土合)向き、橙色ならば起点(小長井)向きの振り返っての写真、と捉えてください。
レポート EP.7
全体マップはこちらから。
前話の続きから。
現在地
前話の最後に通過した切通し部分ですが、この下(川側)には かなり開けた場所がありました。
もしかして 集材場所?!
とも思いましたが、軌道の下にあるのでは効率が悪いしな…、うーん。
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現在地
さて、
旅の再開です。
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現在地
倒木などが邪魔ではありますが、奇麗な軌道跡が戻ってきました。
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現在地
こうやって見ると、やはり
急勾配だなあ、と感じます。
上方にある旧川根東街道のガードレールが、余計にそう見せているのかもしれませんが。
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現在地
ここもまた、弧を描くように施工された石垣がとても美しい。
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現在地
石垣の上まで来ました。
やはり この区間は、少し勾配がキツイようです。
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現在地
これもまた目の錯覚(自分の身長分が入る)ですが、振り返ると信じられないくらいの上り坂。
石垣が無かったら、疑ってしまいそうな光景です。
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現在地
第1話でも触れましたが、智者山軌道がその役目を終えた時に ほぼ全ての資材を売却したとの事。
ここまでの区間では、
レールはもちろん
枕木(レールの下に敷かれる木材)などもありませんでした。
じ〜〜っくりと探して歩けば、
犬釘(レールを固定する釘)くらいは…落ちてるのかな?
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現在地
!!
ヤバい。
急に始まったぞ。
やっと軌道跡が落ち着いたと思ったのも束の間、また荒れだしました。
今度は特に酷い。
頼みの踏み跡も、上がったり下がったり分岐したりと 迷走しています。
木々が満遍なく育っているのを見るに、かなり昔に崩れたのでしょう。
いかん。
完全に見失っている。
しばらくの間、行ったり来たり・上がったり下がったり を繰り返していますが、平らな場所などどこにもありません。
この辺りは かなり大規模に流された、という事のようですねぇ…。
それでもなんとか
想定ラインを頭に描きながら斜面を追って行くしかないわけですが…。
この地点は、ゴッソリと抉れております。
もう2度と軌道跡が見つからないんじゃあないか?
などと思ったりもしましたが、ここを抜けた先には…。
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もしや…あれか…?!
Click!
復帰!!
Click!
たまたま平らになっただけの場所では?と疑いそうになりますが、足元には…。
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ちゃんと、石垣。
軌道跡で間違いないでしょう。
よしよし!
と気を良くしつつ 前を向いた自分に、
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再び遅いかかる
絶望タイム。
また無くなっとるよ。
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それでも所々に石垣が残っていたりして、そこが軌道跡である事を教えてくれます。
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で、しばらくの間は 点在する石垣の欠片を繋ぐようにして辿っていけたのですが…。
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やはり、
手強いな。
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だが、それでも。
細々とだけど…スジが…見える。
なんとか辿っていけそう。
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と、言ったそばから…あー…。
それも怪しくなってきました。
この辺りは完全に消失しているよ…。
斜度もかなりのものです。
とにかく前進するしかない。
立ち木をうまく渡るようにすれば、歩行自体はそれほど難しくありません。
!!
…あった!
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久しぶりの軌道跡!
そしてその先には…?
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現在地
ご褒美タ〜イム!!
世の中、うまくできてるもんだ。
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この切通しの前にも、石垣で補強された回廊がありました。
木の桟橋を多用した他の森林鉄道跡のレポートを何度か目にした事がありますが、智者山軌道は ここまで徹底して石垣による補強という策をとっているようです。
当初から機関車の入線を計画していたため、強度を重視したのでしょうか?
軌道の起点にあたる区間(大井川にせり出して木材を降ろしていた区間)は木の桟橋で構成されていましたが、あれは大水の際に「流される」「壊される」のが前提であったからだと考えます。
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現在地
そして、2個目の切通しへ。
いやはや、頑張った甲斐があったというものです。
もちろん今回も、
大きいサイズの写真を用意しましたよ。
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現在地
1個目の切通し同様、両脇に残る岩塊はかなり高い…。
もし隧道(トンネル)にしていたら 土被りもそこそこあったのでは?
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現在地
まだまだ先は長いです。
このまま
綺麗な軌道跡でいてくれれば良いのですが。
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現在地
良いのですが…。
Click!
現在地
やっぱりダメかい。
現在地
すり鉢状になった この一帯では、軌道跡は奇麗さっぱり消えていました。
いや軌道跡どころか、当時の地形がどんな感じだったのか?
それすら全く判別つかない様相です。
現在地
なんとかここを突破すると、「なんとなくそれっぽいような…」という場所に出ました。
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判断材料は、足元にある石垣。
これが無ければ、何が何やら…。
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現在地
しかし、この先はと言えば…。
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現在地
そこは、割と近代的な工法で造成されたコンクリートの法面でした。
今の高度をなるべく維持しながら突破する、のがセオリーなのでしょうが…。
一目で分かるように 表面は苔むしており、さらには灌木が中途半端に生い茂った状態。
段差がいくつもあるものの、土砂で埋まっていて なんとも頼りない。
もし足を滑らせたら、
数秒で川まで行けるのは間違いありません。
無事かどうかは わかりませんけど。
そう、これが現地点での小長井河内川の眺めなのです。
(
大きいサイズの写真はこちら。)
智者山軌道が急勾配でもってグングンと高度を稼ぎ、小長井河内川との比高を増し続けた結果がこれというわけだ。
で、問題は
今のこの状況。
せめて法面の向こう側の到達点、
ゴール地点さえ目視できていれば また違うのですが…。
無理に突破した先に 地面があるのかどうかすら見通せない。
さて…
どうするか。
ところで、足元にはこんなものが落ちていました。
ん〜関係あるかな?これ。
そんな感じで、
次話へ!
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探索!ウラ話
今回の探索は日程に余裕のない中での強硬調査だったため、結果的に4日間も通う羽目になってしまいました。
ここでは第1日目の動きと、軌道跡とは関係のない写真を載せてみたいと思います。
まずは準備段階での行動計画から。
(地図中の赤線が
現・川根東街道で、オレンジ線が
智者山軌道跡。
間に挟まれた白線が
旧川根東街道とお考え下さい。)
まず車に自転車を積み、
A地点へ。
A地点に車を置き、自転車で
川根東街道を一気に下って
B地点へ。
そこから徒歩で
旧川根東街道へ入り、途中で
智者山軌道跡へアプローチ。
軌道跡を辿って
C地点まで徒歩移動し、
旧川根東街道上の
D地点へ脱出。
D地点から
連絡道を通り
A地点で車に搭乗。
川根東街道から
B地点へ向かい、自転車を回収して撤収。
以上。
なぜこんな事を考えていたのか?
それは、「
旧川根東街道は既に廃道化している」という情報を得ていたから。
ただ、廃道化しているとは言っても どの程度の荒れ具合なのかまでは掴めず…。
一応 GoogleMapのストリートビューでも(B〜D間と連絡道は)見る事ができますが、どうやら
2014年に撮影したのが最後らしい。
ざっと10年前の時点で
既にかなりヤバい状態になっていますねぇ。
まあとにかく、そういった様々な状況を想定したために あの計画となったわけです。
さてさて、せっかくなので本編とは直接関係の無い写真(主に旧川根東街道)を何回かに分けて紹介してみようと思います。
智者山軌道跡よりも、
【廃道】というキーワードに惹かれて辿り着いた方もいると思うし。
さあ、まずはA地点から。
いやもう いきなり心が折れそうな
不気味さなわけです。
今回はこちら側が出口になるので まだマシですが…。
こんなの絶対「ゾンビに襲われて全滅した街の入口」じゃあないですか。
これはD地点。
ちょうど
旧川根東街道と
連絡道の交わるポイントですね。
連絡道から見た状態。
写真奥方向が終点の
土合方向(静岡方面)で、左へ曲がると起点の
小長井へ向かいます。
A地点にはバリケードがありましたが、道路の半分を塞いでいるだけでした。
で この写真を見てのとおり、静岡方面へ向かって割と最近できたであろう轍が残っています。
目的は分かりませんが、今でも利用者がいる、という事のようです。
Click!
近づいてみます。
クリック後の写真は、
【止まれ】の上にある白看板を拡大したもの。
「この先、国道への通り抜けは出来ません。 本川根町」
何とこれ、
現・川根本町となる前の
旧・榛原郡本川根町時代に書かれた看板でした。
そして
“国道への通り抜け”ということは、
現行の川根東街道が整備された後のものになりますね。
そしてこちらは、
小長井方面を向いた状態。
数m先にはバリケードがあり、通行止めとなっています。
実際、ここから5分とかからない地点で土砂崩れに伴う倒木があり、道を完全に塞いでいました。
とまあそんなわけで、また別の回で 旧川根東街道の様子を載せてみますのでね。
お楽しみに。