民営森林鉄道の先駆け
智者山軌道
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第2話 そしてわたしが辿る番になった。
現地からのレポを始める前に、
第1話で紹介した写真を よく見ておく必要があります。
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ふるさと本川根 目で見るふるさと百年史より
まずはクリック後の青枠を拡大。
ふるさと本川根 目で見るふるさと百年史より
横長の画像で申し訳ない。
ぜひ画面を横にしてご覧ください。
ここが
智者山軌道の起点。
現在の
【つつみ遊園地】あたりになります。
切り出された木材は、この桟橋から大井川へ落とされ、流送されていきました。
桟橋は、森林鉄道でよく見られる
「ティンバートレッスル」…と呼べるものだと思いますが、いかんせん この一枚だけでは構造がよくわかりませんね。
なんだか やけに
スカスカで構造材が少なすぎるような気もしますが…。
気になったのは、橋脚の見え方が左・中・右で違っているように見える点です。
ふるさと本川根 目で見るふるさと百年史より
橋脚の手前/奥の見え方や木材の断面の見え方から、もしや この桟橋は
円弧状になっているのではないか?
と思うのです。
木材が放射状に放出されている、と言えば分かり易いでしょうか。
実際の作業風景を想像してみれば、それはとても理に適っているように思えます。
まあ カメラのレンズだとか、当時の撮影技法によって そう見えているだけだ、という可能性もあるんですけどね…。
しかしまあ、それにしても凄い光景ですね。
実際の当時の作業風景を見てみたかったなぁ…。
ふるさと本川根 目で見るふるさと百年史より
お次は緑枠の部分。
右端に写っている橋は
川根大橋。
状況から考えて、おそらく
2代目でしょう。
左から続いてきた桟橋は ここで終わり。
軌道も橋までは到達していないようですね。
橋のすぐ横にある建物は
山本屋旅館さんだと思いますが…どうでしょうか?
あと 中央奥に写っている白い塔のような物体は、位置的に見て
川根電力索道(昭和5(1930)年6月28日青部〜沢間間開業)の鉄塔ではないだろうか?
ここからずっと右の方(当時の東川根村上岸あたり)には
索道 岸前山駅があり、左を向いて小長井河内川を渡ってすぐの場所には
索道 小長井駅があったとの事。(
【幻の索道 -川根電力索道 16年の激動の歴史-】(沢間 駿河・令和4年)より)
ルート的に見てもその可能性は高いと思いますが、果たして?
ふるさと本川根 目で見るふるさと百年史より
そして赤枠の部分。
これが
小長井河内川と
大井川の出合いの地点。
今回の調査対象である
智者山軌道は、この川に沿って敷設されました。
写っている吊橋は
旧小長井河内川橋でしょうか。
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国土地理院地図 航空写真より
これが
昭和23(1948)年1月8日撮影とされるもの。
現在の小長井河内川橋とは角度がまるで違っています。
紫で示した場所にあったのが、かつての
【小長井製材所】
位置的に考えて 智者山周辺から搬出された木材を加工していたはずですが、軌道との関係性が どの程度あったのかは わかりません。
現在は小長井河内川橋の下流側(写真左側)が建設重機置場、上流側(写真右側)が資材置き場?と畑などになっています。
で、紙媒体の資料で紹介されている写真のほとんどが、この
小長井製材所を写したもの。
これは、
「今でも製材所構内にレールが残っている」という理由によるものなのですが…。
これについては、また後ほど触れます。
さてこの頃には既に上流の
大井川ダムが完成しているため、ご覧の通り水量は激減。
とても流送など…といった状態です。
しかし
FileNo.9 下泉橋 P2の
写真のように、
昭和30(1955)年に塩郷ダムが完成するまでは流送自体は続いていたはず。
前話では智者山軌道から搬出された木材は全て流送であったかのように書きましたが…。
かつては河原に山と積まれていた木材が全く見えないどころか、桟橋の存在すら怪しい。
実際はどうだったのでしょうか?
では最後に、写真の他の部分も拡大してみましょうか。
ふるさと本川根 目で見るふるさと百年史より
ふるさと本川根 目で見るふるさと百年史より
ふるさと本川根 目で見るふるさと百年史より
関わっている人数の多さや木材の量など、写真を一瞥しただけでわかる事業規模。
この地方において林業がどれほど重要な位置を占めていたのか、一目瞭然ですね。
*** 注 ***
ここからは現地のレポートになります。
掲載している写真の縁取りが
青ならば終点(土合)向き、橙色ならば起点(小長井)向きの振り返っての写真、と捉えてください。
********
さてさて、やってきました東藤川地区。
ここは
【つつみ遊園地】、あの長大な桟橋があったとされる場所です。
もちろん今では何の痕跡も残っていないわけですが…。
御覧の通り、調査日初日は雨。
人影は全くありません。
で、
「ここから辿っていきます!」なんて感じでレポートを進められたら良かったのですが、実のところ この小長井周辺の詳細は未だ掴めずじまい。
当時、軌道がどのようなルートを通っていたかを示す図的なものなど、どうやら存在しないらしい。
山中への入口は分かっているのですが、桟橋からそこまでの区間が分かっていないのです。
小長井河内川方向を向いての写真。
ここはちょうど
つつみ遊園地の入り口あたりに立っているわけですが、おそらくこのあたりもまだ桟橋が続いていたはず。
何にせよ、
桟橋がどのあたりまで続いていたか わからない事には話が進まないようです。
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ふるさと本川根 目で見るふるさと百年史より
そこで、現在の写真と重ねてみました。
これは主に、「川根大橋」「背後の山の形」「小長井河内川」の3つを頼りに縮尺を合わせてみたものです。
あくまで目安ですが、見ての通り 桟橋は
「つつみ遊園地」入口よりも はるか上流側(写真左手方向)に延びています。
正直に言うと、軌道は この遊園地入口横にある空き地のあたりを通過して山中へ向かっていたのだろう、と思いこんでいました。
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GoogleMap衛星写真より
こんなふうに。
しかし上で比較した通り、桟橋はもっと長く続いていたはずです。
と、ここでもう一枚、智者山軌道の桟橋を捉えたと思われる写真を見てみましょう。
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ふるさと本川根 目で見るふるさと百年史より
多くの本で取り上げられているので、見たことがある方も多いはずです。
「大井川鉄道全線開通祝賀式」(昭和6(1931)年)と題されたこの写真、写っている
川根大橋は工事中のものとして説明されているわけですが…。
その部分を拡大してみると(クリック後の赤枠)
ふるさと本川根 目で見るふるさと百年史より
お判りでしょうか?
建設中の川根大橋と重なっているために、その
「工事用の何か」に見えてしまいがちな奥の構造物。
これ、
智者山軌道の桟橋じゃあないですか?
ただ 最初に検証した写真と比べると、桟橋の組み方が違っているようにも見えます。
おそらくは水害などが起こるたびに架け替えているはずなので、その違いによるものでしょう。
で、左端に見えているのが
【小長井河内川】であり、やはり桟橋自体は
川の近くまで続いていたのだと思われるのです。
ちなみに、写真奥に写っている白い建物(どちらがそうなのか、ハッキリとは分からないのですが…)が、
川根電力索道の小長井駅と紹介されています。
既に取り上げた白井氏の論文
【産業考古学 Vol.112 智者山森林軌道の調査報告】(産業考古学会・2004)にも
「旧静岡街道を300m程行った所に川根索道の小長井駅跡が空き地として残り〜」という描写があります。
となると、上で紹介した
【幻の索道 -川根電力索道 16年の激動の歴史-】(沢間 駿河・令和4年)の唱える位置(小長井河内川の右岸側)とは全く違う場所になるわけですが…。
どちらが正しいのでしょうかね?
とまあ いずれにせよ、図的な資料がない以上は文章から追っていくしかありません。
そこで 白井氏の論文から、小長井周辺の軌道の様子について書かれた部分を抜き出してみましょう
「起点の小長井桟橋から水平で軌道事務所(通称ホテル)、機関車庫を経て右折し、川根街道と交差する踏切までがレベル区間で、以降山中へ入り、石積の急勾配で登り一方となる。全線に行違いや側線、分岐器はなく小長井機関車庫にのみ分岐器があった。」
…うーむ。
正直、困惑。
こんなルート取り、できるかなぁ…。
とりあえず、大きなポイントは二つ。
・桟橋から色々あった後、右折して山中へ向かう
・分岐器は機関車庫にのみあった
というわけで、様々な情報を統合して当サイトが勝手に予想したルートがこちら。
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国土地理院地図 航空写真より
さて、どうでしょうか。
厄介なことに
軌道事務所と
機関車庫については何の情報もないため、それがまた想像を難しくしています。
ふるさと本川根 目で見るふるさと百年史より
最初の写真中央、桟橋の終わり際に見えている大きな建物が
軌道事務所なんでしょうか?
確かに、
“ホテル”っぽく見えなくもない…かな? そういう事じゃないのか。
そして、
機関車庫。
機関車庫と言えば、機関車やトロ貨車の整備に使われる設備であるはず。
在籍車両の総数がもともと少ないので、小さな建屋だったと想像します。
で、問題は
分岐器なのですが、自分はここで躓いてました。
それは
【小長井製材所】の存在。
上述したように、色んな紙媒体の資料にはこの製材所の写真が
「今でも製材所構内にレールが残っている」という文章を添えて紹介されているのです。
それも
【智者山軌道】の項目に。
そのため自分は、
「小長井製材所の構内を通っている軌道(レール)は 智者山軌道の一部である」と思い込んでました。
「分岐器は本線から製材所に向かうためのもの」とも。
しかし今回軌道のルートを予想するにあたって それぞれの紹介文を改めて読み返してみると…。
「近くにあって〜」 「一部が移され〜」 「名残が残っている〜」 などなど。
どの資料にも、「智者山軌道の一部」なんて事は一言も書かれていないのでした。
別モノなのかぁ・・・。
いや気付くの遅いわ。
そもそも製材後の木材を大井川から流送はしないから桟橋へ運ぶ必要はないし、小長井製材所の構内軌道は手押し軌道であって機関車の乗り入れなど無かったのだ。
とまあ そんなわけで、軌道跡を辿る旅を ようやく始められそうです。
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