民営森林鉄道の先駆け

智者山軌道

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第10話 橋脚は深い谷底に一人で坐っていた。 〜中編〜


今話は主に現地のレポートになります。
掲載している写真の縁取りが青ならば終点(度合)向き、橙色ならば起点(小長井)向きの振り返っての写真、と捉えてください。

レポート EP.10
智者山軌道

全体マップはこちらから。



緩やかに沢へ向かって右カーブ。
現在の高度を保ちつつ巻くように進んだ先には、ここ智者山軌道跡における 数少ない遺構 が存在しました。

まず先に、その区間全体を やや引いた位置から俯瞰して見ましょう。

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現在地

この後の説明が分かり易くなるように、全体にポイントを割り当ててみました。
大きいサイズの写真はこちら。)

この区間では2つの沢を連続して超えていました。
まずは沢Aから見ていきます。

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沢Aの様子。
ご覧のように、沢の両側に石垣が滑らかなラインを描いて正対しています。

橋台跡。

この智者山軌道跡における、数少ない遺構の一つがここに!

奥に見えているのは旧川根東街道
帰路に判明した事ですが、この街道の正式な名称は【町道小長井馬路線】と言うようです。
写真に見えている橋の名前は下板橋(しもいたはし)
そしてこの沢(沢A)の名称は、【普通河川 下板橋沢】…であるらしい。
う〜む…なんだか取ってつけたような名前の沢だった。
なぜこれらが判明したかと言うと、下板橋の袂に水利権について書かれた立て札があったから。
要は その事について手続きを進める上で、それまで無名だったこの小沢にも便宜上 名称が必要になった、と。
で、ここには既に【下板橋】が架かっていた。
じゃあそれで。
その結果が あの名前なのではないか?と思うわけです。

立て札が設置されたのは20年近く前の旧本川根町時代で、劣化やら浸水やらで全てを読むことは不可能な状態でした。
まあ この辺りについては、『探索!ウラ話』の方で書くかもしれません。

ではさっそく、橋台跡を見に行きましょうか。
ポイント1へ!

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ポイント1、下板橋沢(沢A)の左岸
起点側から延びてきた軌道跡は石垣の上を通っていますが、そこは土砂に埋もれ すでに安息角で固定されていました。
軌道跡を辿ってきたところで、これじゃあ見失うわけだ…。

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下板橋沢(沢A)の中から橋台跡を眺める。
しっかり原型を留めており、状態は良いです。
いやはや、ここまで頑張って歩いてきた甲斐があるというもの。

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ポイント2、下板橋沢(沢A)の右岸
一方で こちらの橋台跡は状態が悪く、「現役時の面影は薄い」と言わざるを得ません。

智者山軌道

こちらもまた、下板橋沢(沢A)の中から眺めてみます。
なんだかここからだと、コンクリートによる裏込めがされていない ただの野面積みのように見えるわけですが…。
そんなハズはない。

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現在地

こちらの写真は沢Aの上流から軌道跡を眺めたもの。
やはり右岸側橋台の石垣にはコンクリートは使われていないように見えますが…。
まあ要するに、現在見えている部分は石垣橋台の内部なわけです。
もともとの橋台の最先端、つまり沢に面していた部分は既に崩壊してしまった、という状況。
両方とも、奇麗に残っている状態で見たかった…残念。

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現在地

さて、今度はポイント2(右岸側橋台)の上から>左岸側を望んでみます。
緩やかなカーブを描いてそのまま橋台に繋がって行くこのライン。
実に美しいですねぇ。


…で、本題はここから。

既に気付いた方もおられるかも知れませんが、ここまでの写真にチラホラと写っていたあるものについて。
これは、事前調査で目を通した どの資料でも言及されていませんでした。

え、もしかして新発見とか?!

と思ったりもしましたが…。
GoogleMapのストリートビューにamehata F.氏が投稿していた写真にも、バッチリと写っていましたとさ。

まあせっかくなのでね、もう少し引っ張ってみようか。
実は、位置関係なども含めて 最も分かり易く写っていたのが2つ上の写真です。

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現在地

沢Aの上流から眺めた一枚。
クリックすると、赤印が表示されます。
ブツはその中に。
何だか、わかりますか?

というわけで、今回の調査で発見したのがこちら!

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智者山軌道、下板橋沢の橋脚跡!

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夢じゃないよな?これ。
こんなブツが残っているとは!
現役を退いてから約70年
山奥の小さな沢の中で、ずっと踏ん張っていたのだ。コイツは。

それでは早速、観察といきましょうか。
まずコンクリート製の台座に3本の柱が縦に埋め込まれています。
それらを2本の木材で両側から挟み込み、貫通穴でボルト止めしてあるのが分かります。

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縦の柱は沢の水と土砂に洗われ続けており、先端の丸さがその年月の長さを物語っています。

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横木は痩せ細り、容易く折れそうな状態。
よくぞ今日までもってくれたものです。

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メジャーによる測定値。
3本の縦柱のうち両側の2本は内側に向かって斜めになっていたはずなので、路盤は1700mmよりも狭かったと思われます。

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橋脚の形を想像してみました。
資料が残されていない以上、妄想でしかないのですが…。
実際は斜めに “すじかい” があったはずですが、軌道の種類や地方によって構造が違うため、あえて描きませんでした。
参考になりそうな資料と言えば 起点の大井川桟橋の写真くらいのものですが…う〜ん。

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こちらが、先ほどの沢上流からの想像図。

で、こうやって見て感じる事ですが、

「径間長が短い。」

1径間が目測で約1.5m位あり、沢幅は3m位の計算になります。(ちゃんと実測しとくんだった…)
状況から考えて木橋だった可能性が高いので 径間が狭いのは当然として…もしかして…。

「ここまで実踏してきた沢の中にも、橋脚跡が残っていた可能性があるんだろうか?」

もちろん当時と比べて地形も変わっているし 沢の幅など想像もつかないのですが、ここと同規模の沢なら いくつかあったんじゃないか?と思うわけです。
でもまあ、さすがに新発見は難しいか…。

さあ、旅の再開。
お次は沢2の様子。

智者山軌道
現在地

こちらは下板橋沢(沢1)と違って、旧川根東街道は橋で越えていません。
もしかしたら、軌道の現役当時にはこの沢は存在しなかった可能性もあります。

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現在地

ポイント2からポイント3を見る。
クリック後の写真に予想ラインを乗せてみましたが…。
実のところ、どうにも土地の高さが合ってない気がする。
今いるポイント2は、土砂が積み重なって かなり高くなってしまっているのでは?と思います。

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所々に石垣があるのは分かりますが、高さもバラバラだし どうにもスムーズなライン取りが想像できません。

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