民営森林鉄道の先駆け
智者山軌道
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第12話 地中の穴に一人のレールが棲んでいました。 〜中編〜
今話は主に現地のレポートになります。
掲載している写真の縁取りが青ならば終点(度合)向き、橙色ならば起点(小長井)向きの振り返っての写真、と捉えてください。
レポート EP.12

全体マップはこちらから。

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現在地
これは…軌道跡っぽい!
…けど…
なんか微妙だぞ?
一応は これまで辿ってきた軌道跡とそっくりな雰囲気を持っていますが、何と言うかこう…奇麗すぎる。
これはどう判断したものか。
とりあえず、起点方向に戻ってみます。

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現在地
が、僅かに進んだ地点で 無残にも道は途切れました。
崩落と間伐材に阻まれ、この先は容易には進めません。

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現場で目視した時は、起点方向に向かって ずっと先まで続いている、なんだかそれっぽい地形が見えていたんですけどね…。

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レポートを書いている今、こうして撮った写真を拡大してみてもハッキリと視認できるようなスジは見当たらない。
これもまた気のせい…なのか。
自分は今、軌道跡にいるのかどうか?
そもそも自分の立てた予想ルートよりも、この地点は遥かに下すぎる。
これはちょっと違う気がするが…。
と、どうにも確証が持てないまま、とにかく前を向きます。
すると ここがまた変な地形でしてね。
まず先に、少し斜面を登って俯瞰した写真を見て頂きたい。

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現在地
かなり大雑把な図ではありますが…。
下降して辿り着いた地点から少し進んだ場所。
始まりの地点こそ明確ではないものの、高さを変えて
3本のスジに分かれていました。
紫色と黄色のラインは徐々に下がって溝のように。
赤いラインは盛り上がって堤のように。
では、この3本の行きつく先がどうなっているかと言うと?

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先端に行くにつれて徐々に痩せ細り、中央の堤はその高さを失うようにして 最終的に合流して消えていく、というものでした。
どういうこと?

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現在地
3本の合流地点から振り返って。
黄色のラインは徐々に高度を上げ、赤いラインと合流するような形で消えていきます。
自分が降りてきたポイント(6枚上の写真)は、この赤・黄 合流ラインの先になります。
紫のラインは 他2本に比べてあまり明瞭ではなく、この先もちょっとハッキリしない。
う〜ん…?

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これが、堤(赤ライン)の先端に立って終点方向を向いた写真。
一応色分けをしてみましたが、3本のラインの境界線は、そう明瞭なものではありません。
では、もし仮にこの3本のうちの1本が軌道跡だったとして その先は?と言えば…
現在地
とてもじゃないが、この先には平場どころか軌道が通れそうな余地は全くありません。
川の上を桟橋で超えるようなルートであれば話は別ですが、写真のような渓谷がしばらく続いているため ちょっと現実的ではないかな…。
一体なんなんだろう、ここは。
軌道跡のようでありながら、そう言い切れない違和感。
とにかく、これ以上先には辿るべき道は見えません。
必死の思いで斜面を登り、なんとか林道に復帰しました。
とまあ、以上が調査時の様子。
軌道跡を順に辿ってこれなかった自分には 精一杯の記録でした。
そして時間は過ぎて、
このレポートを纏めている現在へ。
自分よりも1年以上前にこの軌道跡を踏破されている
amehataF.氏より もたらされた情報によって、この正体は決着を見ます。
届いたメールには衝撃的な内容を綴った本文とともに、氏が実際に踏破された軌跡をマップ上に載せたファイルが添付されていました。
その衝撃的な内容というのがこちら!

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amehataF.氏 提供資料より
「KAZZ様が想定している線形よりも、もう少し奥地にヘアピンカーブ1段目があります。ヘアピンカーブ1段目に至るまでの軌道跡は崩落地が多く(おそらく上部に林道を造成した影響)あまり状態はよくありません。」
・・・なんですと?!
自分が辿ることができなかった8の字カーブのヘアピン1段目が、
予想よりも遥かに奥だった、と。
しかも添付の地図を見ると、自分が軌道跡だと断じきれなかった
あの地形が!
あの位置が!
紫色から黄色へ抜けるルートが!
ヘアピンカーブの1段目だとおっしゃる!?
いやいや、ちょっと待ってほしい。
写真にもあるように ここは
急傾斜地。
こんな場所に半径10mほど
(白井氏レポより)のヘアピンカーブを設定したら
どんな勾配になるのよ?
という考えから もっと手前(起点寄り)にヘアピンカーブがあったのだろうと予想したわけで。
古地図や白井氏のレポートでも、そんなような描き方をされていたわけだしね。
実際の地形にしても、紫色→黄色ルートの半径は10mなんて無かったし。
年月が過ぎて地形が大きく変わっているとは言え、まさかまさか…ねぇ。
・・・だが。
まさに。
「事実は小説よりも奇なり。」
ご覧ください。
これが
ヘアピンカーブ1段目の真実。

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ティンバートレッスル橋!
え、こんなのアリ?
これは
国立国会図書館デジタルアーカイブに収蔵されている、
【森林治水事業ノ業績】(農林省山林局・昭和8(1933)年)という本に収められていた写真。
「同上組合平栗並びに智者山林班内 小長井智者山線軌道ノ一部曲線大カーブ」と題されています。
当サイト内でも度々出てくる
【林班】とは、森林を天然地形などで分けた
『森の住所』のようなもの。
平栗は小長井河内川を挟んだ対岸の地区の名前なので、この地点は
智者山林班に属していたのでしょう。
ちなみに現在の区分に照らし合わせてみると、「川根本町76林班」として登録されているようです。(参考:
静岡県森林クラウド公開システム)
この写真は、
第10話(後編)に追記した
馬路のアーチ鉄橋と同じページに載っていました。
どうやらアーチ鉄橋と併せて、
智者山軌道を象徴する2大名所として有名だったのではないでしょうか。
いやはや、それにしても見事な
ティンバートレッスル橋じゃあありませんか。
ティンバートレッスル橋
(リンク先:Google画像検索) とは大まかに言えば
木製の桁橋の事。
近い所では お隣の天竜川水系・
水窪川沿いに敷設されていた
水窪森林鉄道(帝室林野局名古屋支局の管轄で、
戸中山御料林からの木材の搬出を目的としたもの)にも これ以上の規模のティンバートレッスル橋群がありました。
これらの写真は、
【特撰 森林鉄道情景】(西 裕之・2014)などで見る事ができます。
しかし水窪森林鉄道の着工は
昭和15(1940)年。
対して智者山軌道の該当区間工事は
昭和6(1931)年頃と、10年ほど前の事になります。
しかも大井川水系では初の動力機関車を投入する民間路線での敷設事業なわけで。
こういった高度な技術は、どこから伝わったものなんでしょうか?
例えば長野県の
木曽森林鉄道 鰔川線には、なんと5段のティンバートレッスル橋
(リンク先:Google画像検索)があったそうですが、この路線は
大正9(1920)年から昭和4(1929)年にかけての建設だとか!
その頃には既に確立されていた建設技術、ということなんでしょうね…凄い!!
よくよく考えてみれば
第1話で取り上げた写真にも写っている通り、起点の小長井にも長大なティンバートレッスル橋(桟橋)が築かれていたんだよなぁ。
このような特殊な技術が どういった流れで伝搬してきたものなのか、系統付けて知れたら より深みに嵌りそうです。

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ただ、これらの超重要な情報を教えてくださった
amehataF.氏は、この写真と現地の地形があまりにも異なるとして、
「本当にこれが該当地の写真なのか断言できない」と仰っています。
う〜ん…実踏された方が言うと、説得力が違うなぁ…。
しかし 緩やかで大きな左カーブである事、1段目と2段目の線が近い(斜面が急である)事などから考えても、自分は
この場所がヘアピンカーブ1段目で間違いないと考えていますよ。
さてさて、それでは現在の写真にこのラインをトレースするとしたらどうなるのか?

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絵心が無さ過ぎて申し訳ない。
自分は
「中央の堤をぐるりと回り込むようなライン取り」を想像しています。
実際に軌道跡を辿ってここまで来られた
amehataF.氏の写真にも、「堤を回り込むルート」が記されていました。
最初こそ
「ぐるりとヘアピンカーブを描いてきた橋が中央の堤へ繋がるライン取り」ではないかと考えましたが、これは “着地点の高さが足りなくて堤を盛って合わせた場合” の考え方になります。(下図左)
しかし何度も書いているように、現地は急斜面。
“着地点が高すぎるから掘って合わせた” と考えた方が、より理に適っている…はず。(上図右)
そのせいで ヘアピンカーブの内側に中途半端な山が残ってしまったのだろう、と。
あくまで想像に過ぎないわけですが、これなら辻褄が合うのかな、と思っています。
いかがでしょうか?
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