民営森林鉄道の先駆け

智者山軌道

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第10話 橋脚は深い谷底に一人で坐っていた。 〜後編〜


今話は主に現地のレポートになります。
掲載している写真の縁取りが青ならば終点(度合)向き、橙色ならば起点(小長井)向きの振り返っての写真、と捉えてください。

レポート EP.10
智者山軌道

全体マップはこちらから。



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現在地

さて、智者山軌道の貴重な遺構を存分に堪能したので先へ進みます。
一歩踏み出せば、そこはいつもの軌道跡。

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現在地

と言っても、調査を始めたばかりの頃の軌道跡に比べれば やはり状態は悪くなっています。

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現在地

落石が多く、灌木も生え放題。
軌道跡そのものが土砂によって埋まり、その姿も鮮明ではありません。

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現在地

それでも傾斜の緩やかな区間だけは外部の影響が少ないため、綺麗な状態で残っている事が多いです。
今 歩いているルートが正しいのかどうか、確認する助けになります。

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現在地

何にせよ、廃止から長い年月を経た現在でもこの位の状態を保っているのだから、自分のような探索者にとっては有難い限りです。

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現在地

さあ、徐々に何でもない只の山道のようになってきましたよ。

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ふと右手を見ると、一気に旧川根東街道が迫ってきました。
単純に距離が近づいただけでなく、その比高も縮まりつつあるようです。

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現在地

するとやや前方に、少し開けた場所が見えてきました。

あれはもしや…?!

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現在地

遂に到着!

馬路(まじ)

智者山軌道における第一期工事の終点。
昭和5(1930)年に開通。
起点から約3,320m

ここで、白井氏の調査報告を引用してみましょう。

「道路の馬路橋手前左側に自動車事故の地蔵尊があり、ここから川へ下ると軌道馬路橋の橋台に出る。」(産業考古学 Vol.112 智者山森林軌道の調査報告/産業考古学会・2004)より)

論文には、白井氏本人が この橋台上にて調査している写真が貼付されていました。
地蔵尊については後で確認するとして、まずは【軌道 馬路橋】の橋台を確認しましょう。

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現在地

これが 左岸 橋台跡!
先の下板橋沢と同様に、コンクリート製ではなく石垣が用いられています。

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下を流れる小長井河内川との比高は かなりのものです。
論文によれば、ここから対岸までは上路アーチ鉄橋で渡っていたらしい。
一応 2枚上の写真に想像図を乗せてみましたが、当時の写真や資料が無いので妄想するしかありません。
軌道の現役当時は、紅葉の時期などは かなりの絶景を誇った橋だった事でしょう。
論文によると、この橋は廃線後もしばらくの間 残っていたようですが、最終的には撤去されました。
今では この橋台だけが、当時の様子を伝える唯一の遺構となっています。

*** 追記 ***

【軌道 馬路橋】の現役時代の写真が見つかりました!
それがこちら!

智者山軌道 馬路鉄橋

これは国立国会図書館デジタルアーカイブに収蔵されている、【森林治水事業ノ業績】(農林省山林局・昭和8(1933)年)という本に収められていた写真。
「同上組合平栗並びに智者山林班内 小長井智者山線軌道ノ一部馬路鐵橋」と題されています。

いやはや、まさかこんな貴重な写真が残っているとは!
これを見るまでは【上路アーチ鉄橋】という文字情報しかなかったため、1径間の単純なアーチ橋を想像していましたが…。
形式で表すとしたら何と呼べばいいんでしょうかね。
素人の見立てでは、【3径間の上路式トレッスルアーチ橋】的な…感じで…どうですか?
…識者の意見を求めます!

似たような橋がないか色々検索してみましたが、どうにも見つかりません。
古い映画で見た事あるような気もするけど…探し方が悪いだけ…?
橋本体がトラス構造で独立しているわけではなく、橋脚と一体化しています。
大枠で言えば【トレッスル橋】という事になるのかな、と。
何にせよ、現在では見ることのできない古い設計の橋である事は間違いありません。

写真奥側でレールが右へカーブしている事から、これは右岸側からこちら(左岸側)を撮影したものですね。
つまりはここ、馬路駅(仮称)が対岸に見えているということ!
(まさか左右逆の写真、ということはない…と思いますが…。)

智者山軌道 Click!

対岸部分を拡大してみました。
よく見ると線路の上部に石垣があり、写真を横切るようにして繋がっています。
これが旧川根東街道にあたるわけですが、本の発行が昭和8(1933)年であるため、撮影日はそれより前。
そして川根東街道を自動車が通行できるようになったのは昭和30年代の話なので、つまりこれは旧道路法によって大正9(1920)年に認定された「府県道東川根静岡線」時代の様子という事になります。
まだ荷車や車馬しか往来できなかった頃ですね。
この後 何十年という年月をかけて改修を重ね、一般国道362号線昇格への礎となっていくわけです。

橋の袂あたりには、簡易な建物らしき何かが写っています。(クリック後の写真)
これが馬路駅(仮称)…なんでしょうか?
実のところ、第2期工事が終わって終点【度合】まで開通した時、中間点であるこの馬路での集材がまだ行われていたのかどうかはハッキリしていません。
既に役目を終えていた可能性も十分にあるわけですが…果たして?

*** 追記終わり ***


智者山軌道
現在地

お次は馬路駅(仮称)そのものに注目してみます。
全線の中間地点に当たる この馬路では、この先の第2次工事と同時に木材の積み込みが行われた 言わば集材場所でもありました。
お世辞にも広いとは言えない場所…。
当時の様子はどんな感じだったのでしょうか。
主に木馬による集材が行われていたようですが、結果的に難工事の連続となった第2次工事の予算確保将来の収益性を確実視できる位の事業規模ではあったはずです。


さてさて、橋が無くなっている以上は 対岸へ行くのに旧川根東街道を通っていくありません。
というわけで、軌道跡のすぐ上に迫っている街道へ。

智者山軌道
現在地

落ち葉や木々に埋もれつつありますが、道路そのものの状態は悪くない…ように見えます。
今にもカーブの向こうから、軽トラが走ってきそう。

智者山軌道
現在地

そしてこちらが 交通安全祈願の地蔵尊
先程まで探索していた【馬路】跡が、後ろに見えています。
自分は果たして、どのくらいぶりの来訪者であろうか…。
今では通りすがる者もいないであろう このお地蔵様に、せめてもの手向けとして水を供え、旅の無事を祈る。

智者山軌道
現在地

そしてこの先は、智者山軌道の第2期工事区間を辿る旅。
まだまだ道程は長いのだ。

果たして終点の【度合】を発見することはできたのか?
智者山軌道の調査行も、あと数話で決着。
終演まで お付き合い頂ければ幸いです。


そんな感じで、

次話へ!


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探索!ウラ話


今回は旧川根東街道(小長井〜連絡道までの区間)について。
街道上で撮った写真の中から、印象に残ったものを何枚かピックアップして載せてみたいと思います。

旧川根東街道

まずはこちら。
廃道化し始めた…といった感じの一枚。
陥没、倒木。
崩壊は、こんなふうに進んでいくのでしょう。

ところで、この写真の奥のほうに“あるもの”が写っています。
それがこちら。

旧川根東街道

2本の枕木。
なぜこんな所に?!
軌間(左右レールの頭部内面間の最短距離)を実際に測らなかったのが悔やまれますが、とりあえず智者山軌道とは無関係のものでしょう。
もっとも、レールが無いこの状態では軌間を測りようも無いわけですが、雰囲気だけでも分かればね。
おそらくは何かの作業用とか部材として持ち込まれた物だと思います。

旧川根東街道 Click!

さて、このように街道上には 今でも交通標識が残されたままになっていますが、拡大写真で分かるように【静岡県】のシールが貼られています。
しかし本編でも書いたように、ここは旧本川根町時代には【町道小長井馬路線】だったはず。
さらには(かなり位置が離れていましたが)岡県】の用地杭を目撃もしました。
一体、この道はどこの管轄なのか?
以下、自分の予想。
智者山軌道の代替輸送路として開削された道路の一部分が 最初は県道として整備され、現在の川根東街道(国道362号)が開通した時に こちらの旧道は町道に格下げされた、って説。どうでしょうか?
このあたりについても、機会があれば調べてみたいと思います。

*** 追記 ***

結局のところ、これ↑は的外れもいいとこでした。
実際はもっと複雑。
なんとか機会を作ってまとめてみたいところですが…。

*** 追記終わり ***


旧川根東街道 Click!

こちらはどうやら電信柱
表示されている内容をどう読み解けば良いのか自分には分かりませんが…。
てかこれ、今も稼働中なのか…?

旧川根東街道

緑の絨毯。

実に鮮やかでした。
道路一面がコケに覆われている状態など、なかなか見られませんからね。
ついつい撮ってしまいました。

旧川根東街道

厚く積もった土砂の量が凄い。
道路が露出している部分は、沢から溢れ出た雨水に洗われた跡。
もともとは写真中央の石垣に沢の水を通す暗渠があるわけですが、頻繁に許容値を越えるらしく既に崩壊が始まっています。
いずれ道路が陥没するか、完全に土砂に埋まるか…。
街道の一部には、こんなふうに姿を変えていく区間もあるのです。



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