民営森林鉄道の先駆け

智者山軌道

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第11話 十票入った。黒板に「」の字が二つ、縦に並ぶ。 〜後編〜


今話は主に現地のレポートになります。
掲載している写真の縁取りが青ならば終点(度合)向き、橙色ならば起点(小長井)向きの振り返っての写真、と捉えてください。

レポート EP.11
智者山軌道

全体マップはこちらから。



智者山軌道
現在地

惨敗。

気を取り直して、次の区間の探索へ移ります。
終点『度合』に辿り着く事が、この調査の最大の目標である事を忘れてはいけません。
モヤモヤとした気分のまま、旧川根東街道へと戻ります。

少し進んだ先の あのカーブを越えれば…。

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現在地

見えた。
あれが【奥日掛林道】の入口。

白井氏の論文には、
「1955年には(略)軌道を廃止することとし、馬路の鉄橋を除くすべてを撤去、売却した。(略)しかし林業は続き、馬路より先は並行道がなかったので林道奥日掛線が作られたが、近年の木材生産はごく僅かとなっている。」(産業考古学 Vol.112 智者山森林軌道の調査報告/産業考古学会・2004)より)
と書かれています。
つまりは智者山軌道のトラック輸送用代替路線としてこの林道が作られたわけですね。
(ちなみに、馬路の鉄橋がいつ廃橋となったのか は書かれていません。)

それにしても、このヘアピンカーブは…

智者山軌道

急勾配だな!!
車同士のすれ違いも、かなり怖かったのでは?
大きいサイズの写真はこちら。)

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現在地

遂に分岐点に辿り着きました。
ここを直進すれば現行の川根東街道に合流し、静岡へ。
左折して林道に入れば、智者山の麓へと向かっていきます。

今回の目的地である智者山軌道の終着地【度合】は、ここから約2km程進んだ位置になるはず。
何としても軌道跡に復帰しなければ。


ここからは、奥日掛林道を往く。



さてさて、今回のレポートにおいて かなり重要なポイントであるはずの8の字カーブ
現地では ほぼ何も掴めず逃げ帰ってきたわけですが…。
もしも再訪した時の為にも、地図的な資料ではどうなっているか、確認しておく必要があります。

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5万分の1「千頭」より

まずは5万分の1「千頭」から。
智者山軌道が現役の頃に作成された地図であり、ある意味『最も正しい地図』だと言えなくもありませんが…問題は精度。
小長井河内川の線形を現在の航空写真などに重ねて比べてみると…ちょっと怪しいどころか、全然合わない!
その上、途中で分岐する奥日掛林道も描かれていない(まだ作られていない)ので、参考にするには難しい代物か…。

得られる情報としては「最初のヘアピンカーブが街道からかなり離れた位置にあること」でしょう。
しかし等高線と併せて考えると、ちょっと急勾配すぎるような…?
また、第2ヘアピンカーブ以降は奥日掛林道のラインに重なりそうな印象を受けますね。

地図中に紫線でなぞったラインは小長井地区と対岸の平栗地区を結んでいる徒歩道。
もしかしたら自分がアプローチに利用した道(木の杖が置いてあった)が、正にこれだったのでしょうか。
軌道跡と交錯するポイントで いくつもの道筋があるように見えたのも、これと関係しているのかも?

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5万分の1「千頭」より

お次は白井氏のレポートに掲載されていたもの。
ベースになっているのは、レポート作成当時の国土地理院地図でしょうか。
現行の川根東街道は小長井〜連絡道分岐までが先行して開通しており、その先にある馬路大橋までの区間は まだ工事中のようです。
現在は 馬路大橋を渡った地点から馬路トンネルを通過して山の反対側へ抜ける道が建設中となっているわけですが、そもそもこのバイパス道(国道362号線改修工事)の着工は昭和57(1982)年。
実に50年以上経った今日でも未だ完成の日の目を見ない、不遇の路線となっています。

【富士城バイパス計画】

長島ダム建設に端を発し、地元 本川根町(現:川根本町)と 国・県の思惑が絡み合ったこの一連の建設計画については、山さ行がねが 様サイト内の、「道路レポート 国道362号にあった“幻のループバイパス計画”」にて詳しく書かれていますので、ぜひご一読頂ければと思います。

智者山軌道

話を戻して。
白井氏が描き加えた智者山軌道の線形は 実際に行った現地調査の結果を図中に描き込んだもの、のはず。
それならば と思い、前述の古地図「千頭」と重ねてみて「さあどうだ!?」と検証しようとしたわけですが…。
回転しようが拡大縮小しようが、やっぱり合いませんな。
まあまあ、よくある事。

どうにか両地図を見比べてみると、最初のヘアピンカーブの位置が大きく違っている事がわかります。
しかし第2ヘアピンカーブ以降においては、奥日掛林道に重なるようなイメージで描かれている点で共通しているようです。
これを素直に読み取るならば、この8の字カーブから先の智者山軌道は「奥日掛林道に改修された」という結論になるのか。
白井氏レポートにあった、智者山軌道のトラック輸送用代替路線としてこの林道が作られたという記述と矛盾しませんね。

智者山軌道

最後にこれが、amehata F.氏がGoogleMap上に投稿したストリートビューの撮影ポイントを国土地理院地図に載せ直したもの。
(GoogleMapには奥日掛林道が描かれていないため。そもそも、旧川根東街道の線形も全然違っていますが…。)
ただ GPSの精度が悪かったのか登録処理に問題があるのか?Cポイントは川の上にマークされていたため、写真などから判断して勝手に位置修正をさせて頂きました。
こうやってマークされた3点を眺めてみると、古地図「千頭」に描かれたラインがかなり近いように見えますね。
調査前にこれやっとくんだったなぁ…。

Aポイントは自分がアプローチをした場所と同位置っぽいですね。
自分もここが軌道跡だと思ったわけですが、写真のようにかなりの急勾配なんだよなぁ…。
Bポイントは自分が辿りつけなかった場所。
石垣も写っています。
Cポイントに至っては、切通しまであるじゃあありませんか。悔しい。

とまあそんなわけで、これらを統合して独自/勝手に線形を想像したラインがこちらになります。

智者山軌道

割と良い感じかと思いますが、問題は最初のヘアピンカーブ。
やっぱりこれでは急勾配すぎるでしょうか?。
ポイントCの位置が正確ではないのが残念ですね…。
2番目のヘアピンカーブは傾斜のなだらかさを考えてもベストな位置取りかと思います。
少し膨らんで奥日掛林道に重なるライン取りは、思いあたるポイントが…ある!



そんな感じで、

次話へ!


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探索!ウラ話


今回は旧 川根東街道(連絡道以奥)と、奥日掛林道の一部について。
街道上で撮った写真の中から、印象に残ったものを何枚かピックアップして載せてみたいと思います。

旧静岡街道

まずは前話で紹介した、下板橋。

旧静岡街道

昭和37(1962)年3月竣工。
今話序盤で掲載した馬路橋が昭和32(1957)年10月竣功なので、それより5年も後になりますね。
架け替えした、とかでしょうか?
それと関連があるのかはわかりませんが、この橋、実はけっこう面白い形だったりします。

旧静岡街道

沢の下流側は道の線形に沿うようにカーブを描いていますが、上流側は沢に直交するように真っ直ぐ。
これは最初からこういう設計にしていたんでしょうか?
欄干の造りなどにも特に違和感はありませんでしたが…どういう理由なんだこれ?

旧静岡街道

小長井側の橋の袂には、立派な堂宇に納められたお地蔵様が。
しかし供えられた花は造花。
やはりこちらも訪れる人がいなくなって久しいようです。

旧静岡街道

こちらが、水の占有許可(?)についての標示。
建てられたのは平成17(2005)年のようで、旧本川根町時代のもの。
ご覧のように、所々がかろうじて読めるかどうか、といった状態。
それでも沢の名前や ここから街道沿いにずっと繋がっている黒いホースの正体なども判明しました。

旧静岡街道

これは、下板橋から上を眺めたところ。
現行の川根東街道に架かる、その名も要害橋(ようがいばし)
『害』の字を橋の名前に使うってどうなんだ?と思ったりもしましたが、そうじゃない。
『要害』で調べてみれば、「地勢がけわしく、敵を防ぐのに適している所」(by Goole)だそうな。

旧静岡街道

場所はわからなくなってしまいましたが、スリップ注意の標識。
しっかりと立ってはいますが、スリップよりも土砂崩れに注意した方が良さそうです。

旧静岡街道

これはおそらく馬路橋から下流方向を撮影したもの。たぶん。
幽玄の渓谷、とでも表現しようか。
カレンダーにでも使えそうな最高の景色でした。

旧静岡街道

最後に、奥日掛林道で見つけた変わった形の暗渠。
しかも2連続。

旧静岡街道

排水溝自体は普通ですが、蓋の形がおもしろい。
他にもどこかで見たことがあるような気がするんですが…どこだったかな…。


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